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 「多く」は「たくさんあり」に、「豊かな」は「多くの・たくさんの」に置き換え可能。「多い・たくさん」が事柄の善し悪しに関わらず、数量の程度が大きいことを表すのに対して、「🔗🔉

 「多く」は「たくさんあり」に、「豊かな」は「多くの・たくさんの」に置き換え可能。「多い・たくさん」が事柄の善し悪しに関わらず、数量の程度が大きいことを表すのに対して、「豊かだ」は「資源・知識・才能・経験・内容・リズム・自然・実り・個性・起伏・生活・心・胸」など、経済的・精神的・形状的なものが、ある国や地方・人・物などに、固有にありあまるほど備わっていて、基準をはるかに越えてゆとりを感じさせる、プラス評価の状態を指す。例を「温泉が豊かで」に置き換えると、温泉地の数ではなく地下資源としての温泉、つまり温泉の湯量を指し、同じことを二度繰り返すことになるので「日本は豊かな温泉を利用して」とした方がすっきりした文になる。

 「豊富だ」はプラス評価の事柄が数量的に「たくさん」あるという意味の漢語的表現。「新鮮な材料を豊富に使った料理・種類が豊富なギフトショップ・優勝経験の豊富なチーム」など、🔗🔉

 「豊富だ」はプラス評価の事柄が数量的に「たくさん」あるという意味の漢語的表現。「新鮮な材料を豊富に使った料理・種類が豊富なギフトショップ・優勝経験の豊富なチーム」など、物を惜しみなく使う・数量的な多さ・非常に多くの回数・場数という意味を表す場合は「豊かだ」に置き換えることはできない。逆に物質化・数量化できない上述の「自然〜胸」といった「豊かな」事柄は「豊富だ」に置き換わらない。

 ただ「科学〔武芸〕に関する知識〔才能〕が豊富な人」などは「知識・才能がたくさんある」、つまり知識・才能が多方面にわたっており、数量や種類の多さに恵まれていることに重点が🔗🔉

 ただ「科学〔武芸〕に関する知識〔才能〕が豊富な人」などは「知識・才能がたくさんある」、つまり知識・才能が多方面にわたっており、数量や種類の多さに恵まれていることに重点があり、「豊かな」に置き換えると、科学・武芸のこと以外は何も知らなくても、その知識・才能がその人固有のもので、価値あるものということに重点がある。

 「おびただしい」は文章語で「おびただしい人の数・おびただしい暑さ・ばかなことおびただしい」など、数量が極端に多い、マイナスの程度がはなはだしいといった場合に使われる。程🔗🔉

 「おびただしい」は文章語で「おびただしい人の数・おびただしい暑さ・ばかなことおびただしい」など、数量が極端に多い、マイナスの程度がはなはだしいといった場合に使われる。程度を表す場合「多い・たくさん」には置き換わらない。「潤沢だ」は文章語で、特に資金・資源がありあまるほど豊富にあるという意味の漢語的表現。「きわめて」「すごい」を参照。 解 説 =

類義使分 ページ 339