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ふじわら-の-さだいえ フヂハラ―サダイヘ 【藤原定家】🔗🔉

ふじわら-の-さだいえ フヂハラ―サダイヘ 【藤原定家】 ⇒ふじわらのていか(藤原定家)

ふじわら-の-さだかた フヂハラ― 【藤原定方】🔗🔉

ふじわら-の-さだかた フヂハラ― 【藤原定方】 (873-932) 平安前期の歌人。高藤の子。右大臣。三条右大臣と呼ばれる。宮廷歌壇を支える役割を果たした。「古今和歌集」以下の勅撰集に一九首入集。家集「三条右大臣集」

ふじわら-の-さだより フヂハラ― 【藤原定頼】🔗🔉

ふじわら-の-さだより フヂハラ― 【藤原定頼】 (995-1045) 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。公任の子。正二位権中納言。誦経も巧みであった。「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に四十余首入集。家集「定頼集」

ふじわら-の-さねかた フヂハラ― 【藤原実方】🔗🔉

ふじわら-の-さねかた フヂハラ― 【藤原実方】 (?-998) 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。叔父済時の養子。正四位下左中将。陸奥守として下向,任地で没。風流な貴公子として知られ,多くの女性との贈答歌を残す。「拾遺和歌集」以下の勅撰集に六七首入集。家集「実方集」

ふじわら-の-さねすけ フヂハラ― 【藤原実資】🔗🔉

ふじわら-の-さねすけ フヂハラ― 【藤原実資】 (957-1046) 平安中期の廷臣。右大臣。祖父実頼の養子。性剛直で全盛期の道長と対立,批判的立場に立つ。また,有職小野宮流を大成。著「小野宮年中行事」,日記「小右記」など。

ふじわら-の-さねより フヂハラ― 【藤原実頼】🔗🔉

ふじわら-の-さねより フヂハラ― 【藤原実頼】 (900-970) 平安中期の廷臣。摂政・関白。忠平の子。小野宮殿と称。諡号(シゴウ),清慎公。安和の変によって左大臣源高明を失脚させ,藤原氏繁栄の基礎をつくった。有職小野宮流の祖。

ふじわら-の-しゅんぜい フヂハラ― 【藤原俊成】🔗🔉

ふじわら-の-しゅんぜい フヂハラ― 【藤原俊成】 〔名は「としなり」とも〕 (1114-1204) 平安末期・鎌倉初期の歌人・歌学者。名は初め顕広。法号,釈阿。定家の父。五条三位と称された。後白河院の命により「千載和歌集」を撰進。古典主義的立場に立ち幽玄の理念を樹立,王朝和歌を統合的に継承するとともに中世和歌の出発点を築いた。歌論「古来風体抄」,家集「長秋詠藻」などのほか,書の名筆を多く遺す。

大辞林 ページ 153493