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ふじわら-の-きよひら フヂハラ― 【藤原清衡】🔗🔉

ふじわら-の-きよひら フヂハラ― 【藤原清衡】 (1056-1128) 平安末期の陸奥(ムツ)の豪族。後三年の役で源義家に味方して異父弟清原家衡らを討ち,陸奥六郡と出羽の管領権を握り,奥州藤原氏の基を築いた。平泉に中尊寺を建立。清原清衡。

ふじわら-の-きんすえ フヂハラ―キンス 【藤原公季】🔗🔉

ふじわら-の-きんすえ フヂハラ―キンス 【藤原公季】 (956-1029) 平安中期の廷臣。師輔の子。醍醐天皇の孫。1021年太政大臣。閑院と号す。

ふじわら-の-きんつね フヂハラ― 【藤原公経】🔗🔉

ふじわら-の-きんつね フヂハラ― 【藤原公経】 ⇒西園寺(サイオンジ)公経

ふじわら-の-きんとう フヂハラ―キンタフ 【藤原公任】🔗🔉

ふじわら-の-きんとう フヂハラ―キンタフ 【藤原公任】 (966-1041) 平安中期の歌人・歌学者。通称,四条大納言。四納言の一人。実頼の孫。正二位権大納言。故実に明るく,諸芸に秀で,名筆家としても知られる。「和漢朗詠集」「拾遺抄」「三十六人撰」の撰者。著「新撰髄脳」「和歌九品」「北山抄」,家集「前大納言公任卿集」

ふじわら-の-くすこ フヂハラ― 【藤原薬子】🔗🔉

ふじわら-の-くすこ フヂハラ― 【藤原薬子】 (?-810) 平安初期の女官。種継の女(ムスメ)。平城天皇に仕え寵愛(チヨウアイ)を得たが,嵯峨天皇が即位すると勢力の失墜を恐れ,810年兄仲成らと平城上皇の重祚(チヨウソ)をはかって失敗,自殺した(薬子の変)。

ふじわら-の-これただ フヂハラ― 【藤原伊尹】🔗🔉

ふじわら-の-これただ フヂハラ― 【藤原伊尹】 〔名は「これまさ」とも〕 (924-972) 平安中期の廷臣・歌人。師輔の長子。行成の祖父。一条摂政と呼ばれた。諡号(シゴウ)は謙徳公。摂政・太政大臣。撰和歌所別当となり,「後撰和歌集」の撰進に関与。家集に「一条摂政御集(豊蔭)」がある。

ふじわら-の-これちか フヂハラ― 【藤原伊周】🔗🔉

ふじわら-の-これちか フヂハラ― 【藤原伊周】 (974-1010) 平安中期の廷臣。道隆の子。内大臣。関白を争い叔父道兼・道長と対立,花山法皇に矢を射かけ,大宰権帥(ダザイノゴンノソツ)に左遷された。翌年許され儀同三司の待遇を得たが,道長に抗し得ず失意のうちに没した。

大辞林 ページ 153492