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ふじわら-の-ただぶみ フヂハラ― 【藤原忠文】🔗🔉

ふじわら-の-ただぶみ フヂハラ― 【藤原忠文】 (873-947) 平安中期の廷臣。平将門の乱に征東大将軍,藤原純友の乱に征西大将軍となった。出兵の恩賞を藤原実頼に阻止されたとして,これを深く恨む。忠文の死後,実頼家に不幸が続いたため,その祟りがうわさされ,悪霊民部卿と恐れられた。

ふじわら-の-ただみち フヂハラ― 【藤原忠通】🔗🔉

ふじわら-の-ただみち フヂハラ― 【藤原忠通】 (1097-1164) 平安後期の廷臣。法性寺殿と称される。忠実の長子。摂政・関白,太政大臣に至る。氏長者(ウジノチヨウジヤ)を父の寵児である弟頼長と争い,いったんは失ったが,保元の乱で弟を倒し復した。書にすぐれ,法性寺流の祖とされる。家集「田多民治(タダミチ)集」,漢詩集「法性寺関白集」,日記「法性寺関白記」など。

ふじわら-の-たねつぐ フヂハラ― 【藤原種継】🔗🔉

ふじわら-の-たねつぐ フヂハラ― 【藤原種継】 (737-785) 奈良末期の廷臣。桓武天皇の信任厚く,皇太子早良親王と対立。784年造長岡宮使として遷都に着手したが,翌年暗殺された。これを機に平安京遷都が計画された。

ふじわら-の-ためいえ フヂハラ―タメイヘ 【藤原為家】🔗🔉

ふじわら-の-ためいえ フヂハラ―タメイヘ 【藤原為家】 (1198-1275) 鎌倉前期の歌人。定家の子。「続後撰和歌集」「続古今和歌集」(共撰)の撰者。阿仏尼を後妻とした。歌論書「詠歌一体」。「新勅撰和歌集」以下の勅撰集に三三二首入集。家集「為家集」

ふじわら-の-ためうじ フヂハラ―タメウヂ 【藤原為氏】🔗🔉

ふじわら-の-ためうじ フヂハラ―タメウヂ 【藤原為氏】 (1222-1286) 鎌倉中期の歌人。為家の長男。為世の父。二条家の祖。「続拾遺和歌集」の撰者。「続後撰和歌集」以下の勅撰集に二三二首入集。

ふじわら-の-ためかね フヂハラ― 【藤原為兼】🔗🔉

ふじわら-の-ためかね フヂハラ― 【藤原為兼】 ⇒京極為兼(キヨウゴクタメカネ)

ふじわら-の-ためさだ フヂハラ― 【藤原為定】🔗🔉

ふじわら-の-ためさだ フヂハラ― 【藤原為定】 (1293-1360) 鎌倉末期・南北朝初期の歌人。二条家の嫡流として,「続後拾遺和歌集」「新千載和歌集」を撰進。「玉葉和歌集」以下の勅撰集に一二四首入集。

大辞林 ページ 153495