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ほうじょう-ときゆき ホウデウ― 【北条時行】🔗🔉

ほうじょう-ときゆき ホウデウ― 【北条時行】 (?-1353) 南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府滅亡後,幕府再興を図り挙兵したが足利尊氏のため敗走(中先代の乱)。その後も南朝方に従って何度か挙兵したが,鎌倉で捕らえられ,竜口で斬られた。中先代。

ほうじょう-ときより ホウデウ― 【北条時頼】🔗🔉

ほうじょう-ときより ホウデウ― 【北条時頼】 (1227-1263) 鎌倉幕府五代執権。泰時の孫,母は松下禅尼。最明寺殿とも。1247年,三浦泰村一族を滅ぼし北条氏の独裁体制を確立,引付衆を設置して訴訟制度を整備。また,民政に意を尽くしたことから,諸国民情視察遍歴の伝説が生じた。 →鉢の木

ほうじょう-まさこ ホウデウ― 【北条政子】🔗🔉

ほうじょう-まさこ ホウデウ― 【北条政子】 (1157-1225) 源頼朝の妻。北条時政の女(ムスメ)。頼家・実朝の母。頼朝の死後は父時政・弟義時とともに幕政に参与。実朝の死後,京都から九条頼経を四代将軍に迎え,自ら後見として幕政を裁断したので尼将軍と称された。

ほうじょう-まさむら ホウデウ― 【北条政村】🔗🔉

ほうじょう-まさむら ホウデウ― 【北条政村】 (1205-1273) 鎌倉幕府七代執権。義時の子。1256年連署,64年執権,68年時宗に執権を譲って再び連署となった。

ほうじょう-やすとき ホウデウ― 【北条泰時】🔗🔉

ほうじょう-やすとき ホウデウ― 【北条泰時】 (1183-1242) 鎌倉幕府三代執権。義時の子。江馬太郎と称す。常楽寺殿とも。承久の乱に幕府軍を率いて上洛,乱後,初代六波羅探題。1225年評定衆を設置。32年に制定した「御成敗式目」は以後の武家法の規範となった。

ほうじょう-よしとき ホウデウ― 【北条義時】🔗🔉

ほうじょう-よしとき ホウデウ― 【北条義時】 (1163-1224) 鎌倉幕府二代執権。時政の子。江馬小四郎と称す。1205年執権,13年和田義盛を滅ぼして侍所の別当を兼ねた。実朝横死後は姉政子とともに幕政の実権を握り,承久の乱に勝利して幕府政権を確実なものとした。

大辞林 ページ 154219