複数辞典一括検索+

ほうじょう【北条】🔗🔉

ほうじょう ホウデウ 【北条】 愛媛県北部,高縄(タカナワ)半島北西部にある市。水田農業やタマネギなどの栽培が盛ん。繊維工業のほか,鹿峰(カノミネ)瓦を特産。

ほうじょう【北条】🔗🔉

ほうじょう ホウデウ 【北条】 姓氏の一。 (1)桓武平氏。平貞盛の子孫時家が伊豆北条に住んで北条氏を称したのに始まる。鎌倉幕府創業に功があり,のち執権職として幕府の実権を掌握。 (2)小田原を本拠とした戦国大名。伊勢長氏(北条早雲)を祖とする。後北条氏。 →北条(1)[表]

ほうじょう-うじつな【北条氏綱】🔗🔉

ほうじょう-うじつな ホウデウウヂツナ 【北条氏綱】 (1486-1541) 戦国時代の武将。早雲の子。上杉朝興・里見義弘・足利義明らを破り,後北条氏の南関東における支配権を確立。

ほうじょう-うじなお【北条氏直】🔗🔉

ほうじょう-うじなお ホウデウウヂナホ 【北条氏直】 (1562-1591) 戦国時代の武将。氏政の子。母は武田信玄の娘。後北条氏五代当主。豊臣秀吉の小田原攻略の時,籠城数か月後に開城,高野山に籠居した。

ほうじょう-うじなが【北条氏長】🔗🔉

ほうじょう-うじなが ホウデウウヂナガ 【北条氏長】 (1609-1670) 江戸初期の旗本。北条流兵学の祖。小田原の後北条氏の裔。小姓組から累進し大目付。蘭人に兵学を学び軍制の体系化に尽力。著「兵法雄鑑」「士鑑用法」など。

ほうじょう-うじまさ【北条氏政】🔗🔉

ほうじょう-うじまさ ホウデウウヂマサ 【北条氏政】 (1538-1590) 戦国時代の武将。氏康の子。武田・佐竹氏らと戦い,東海地方にも勢力を伸ばした。豊臣秀吉の小田原攻略に際し,籠城の末降伏,弟氏照と共に自刃した。

ほうじょう-うじやす【北条氏康】🔗🔉

ほうじょう-うじやす ホウデウウヂヤス 【北条氏康】 (1515-1571) 戦国時代の武将。氏綱の子。1551年,扇谷(オウギガヤツ)・山内両上杉氏を河越に破り,61年上杉謙信を敗走させ,伊豆・相模・武蔵・上野を領有,後北条氏の全盛期を築いた。また,足利学校の復興を援助。

ほうじょう-かてい【北条霞亭】🔗🔉

ほうじょう-かてい ホウデウ― 【北条霞亭】 (1780-1823) 江戸後期の漢詩人。志摩の人。名は襄,字(アザナ)は子譲・景陽,霞亭は号。京や江戸で学んだ後,菅茶山に迎えられて廉塾の塾頭となり,ついで福山藩儒となった。著「霞亭摘藁」「霞亭渉筆」ほか。

ほうじょう-さねとき【北条実時】🔗🔉

ほうじょう-さねとき ホウデウ― 【北条実時】 (1224-1276) 鎌倉中期の武将。義時の孫。称名寺殿とも。引付衆・評定衆などを歴任。武蔵六浦荘金沢郷に住んで称名寺を建立,多くの書物を収集・書写して金沢文庫の基礎を築いた。金沢実時。

ほうじょう-しげとき【北条重時】🔗🔉

ほうじょう-しげとき ホウデウ― 【北条重時】 (1198-1261) 鎌倉前期の武将。義時の子。極楽寺殿とも。兄泰時を助けて六波羅探題・連署を務めた。「重時家訓」は武家家訓の初源。極楽寺を創設。

ほうじょう-そううん【北条早雲】🔗🔉

ほうじょう-そううん ホウデウサウウン 【北条早雲】 (1432-1519) 室町後期の武将。後北条氏の祖。初め伊勢新九郎長氏と称し,出家して早雲庵宗瑞と号す。駿河の今川氏を頼って次第に頭角を現した。のち堀越公方(足利茶々丸)を倒して伊豆韮山(ニラヤマ)に進出,小田原を本拠として南関東制覇の基礎を築いた。家訓に「早雲寺殿廿一箇条」がある。

ほうじょう-たかとき【北条高時】🔗🔉

ほうじょう-たかとき ホウデウ― 【北条高時】 (1303-1333) 鎌倉幕府第一四代執権。貞時の子。法名,崇鑑。一四歳で執権となったが,内管領長崎高資らに実権を握られ遊宴にふけったため幕政は混乱。元弘の乱で後醍醐天皇を隠岐に配流し光厳天皇を擁立したが,新田義貞に鎌倉を攻められ東勝寺で自刃した。

ほうじょう-たみお【北条民雄】🔗🔉

ほうじょう-たみお ホウデウタミヲ 【北条民雄】 (1914-1937) 小説家。ソウル生まれ。川端康成に師事。ハンセン病患者という自己の極限状況を凝視し,柔軟な感性でとらえた作品で知られる。作「いのちの初夜」など。

ほうじょう-だんすい【北条団水】🔗🔉

ほうじょう-だんすい ホウデウ― 【北条団水】 (1663-1711) 江戸前・中期の俳人・浮世草子作者。名,義延。別号,白眼居士・滑稽堂など。西鶴庵二代目となり西鶴の遺稿を刊行。自ら浮世草子を著す一方で,俳諧・雑俳の点者としても活躍した。編著「団袋」「日本新永代蔵」など。

ほうじょう-ときふさ【北条時房】🔗🔉

ほうじょう-ときふさ ホウデウ― 【北条時房】 (1175-1240) 鎌倉前期の武将。時政の子,義時の弟。承久の乱に甥の北条泰時とともに幕府軍を率いて上洛。泰時が執権になると連署としてこれを補佐した。

ほうじょう-ときまさ【北条時政】🔗🔉

ほうじょう-ときまさ ホウデウ― 【北条時政】 (1138-1215) 鎌倉幕府初代執権。伊豆の人。源頼朝の妻政子の父。通称,四郎。鎌倉幕府創業の功臣。頼朝の死後,二代将軍頼家を謀殺,実朝を擁立して北条氏の幕政の実権掌握への道を開いた。後妻牧の方の陰謀に与し,政子・義時らに阻まれ失敗,伊豆に退隠。

ほうじょう-ときむね【北条時宗】🔗🔉

ほうじょう-ときむね ホウデウ― 【北条時宗】 (1251-1284) 鎌倉幕府八代執権。時頼の子。通称,相模太郎。文永・弘安の両度の元寇に際し,強硬に幕政を指導して,これを退けた。また,禅宗に帰依して宋から無学祖元を招き,円覚寺の開山とした。

ほうじょう-ときゆき【北条時行】🔗🔉

ほうじょう-ときゆき ホウデウ― 【北条時行】 (?-1353) 南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府滅亡後,幕府再興を図り挙兵したが足利尊氏のため敗走(中先代の乱)。その後も南朝方に従って何度か挙兵したが,鎌倉で捕らえられ,竜口で斬られた。中先代。

ほうじょう-ときより【北条時頼】🔗🔉

ほうじょう-ときより ホウデウ― 【北条時頼】 (1227-1263) 鎌倉幕府五代執権。泰時の孫,母は松下禅尼。最明寺殿とも。1247年,三浦泰村一族を滅ぼし北条氏の独裁体制を確立,引付衆を設置して訴訟制度を整備。また,民政に意を尽くしたことから,諸国民情視察遍歴の伝説が生じた。 →鉢の木

ほうじょう-まさこ【北条政子】🔗🔉

ほうじょう-まさこ ホウデウ― 【北条政子】 (1157-1225) 源頼朝の妻。北条時政の女(ムスメ)。頼家・実朝の母。頼朝の死後は父時政・弟義時とともに幕政に参与。実朝の死後,京都から九条頼経を四代将軍に迎え,自ら後見として幕政を裁断したので尼将軍と称された。

ほうじょう-まさむら【北条政村】🔗🔉

ほうじょう-まさむら ホウデウ― 【北条政村】 (1205-1273) 鎌倉幕府七代執権。義時の子。1256年連署,64年執権,68年時宗に執権を譲って再び連署となった。

ほうじょう-やすとき【北条泰時】🔗🔉

ほうじょう-やすとき ホウデウ― 【北条泰時】 (1183-1242) 鎌倉幕府三代執権。義時の子。江馬太郎と称す。常楽寺殿とも。承久の乱に幕府軍を率いて上洛,乱後,初代六波羅探題。1225年評定衆を設置。32年に制定した「御成敗式目」は以後の武家法の規範となった。

ほうじょう-よしとき【北条義時】🔗🔉

ほうじょう-よしとき ホウデウ― 【北条義時】 (1163-1224) 鎌倉幕府二代執権。時政の子。江馬小四郎と称す。1205年執権,13年和田義盛を滅ぼして侍所の別当を兼ねた。実朝横死後は姉政子とともに幕政の実権を握り,承久の乱に勝利して幕府政権を確実なものとした。

ほうじょう-りゅう【北条流】🔗🔉

ほうじょう-りゅう ホウデウリウ 【北条流】 軍学の一派。祖は北条安房守氏長で,甲州流軍学小幡勘兵衛の筆頭門人。寛永年間(1624-1644)の創始。

ほうじょうくだいき【北条九代記】🔗🔉

ほうじょうくだいき ホウデウ― 【北条九代記】 (1)歴史書。二巻。作者未詳。1333年頃の成立。1183年から1332年までの鎌倉幕府関係の歴史を年代記風に漢文で記す。 (2)戦記物語。一二巻。浅井了意著という。1675年刊。北条時政から貞時に至る,執権北条氏九代の歴史を通俗的に記したもの。鎌倉北条九代記。鎌倉九代記。

大辞林北条で始まるの検索結果 1-25