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ほうじょう【北条】ホウデウ🔗🔉

ほうじょう【北条】ホウデウ 愛媛県北部、瀬戸内海の斎灘(いつきなだ)に面する市。南部に高縄山がある。鹿峰瓦(かのみねがわら)の産地。人口二・九万。

ほうじょう【北条】ホウデウ🔗🔉

ほうじょう【北条】ホウデウ 姓氏の一。鎌倉幕府の執権家。桓武平氏の流れで、平貞盛の後裔時家のとき、伊豆北条に住んで北条と称した。時政が源頼朝の幕府創業を助け、のち、執権として数代にわたり幕府の最高実力者となった。小田原を根拠地に関東を支配した戦国大名。伊勢新九郎長氏(早雲)を祖とし、氏直のとき豊臣秀吉の小田原攻めで滅亡。後北条氏。

ほうじょう‐あきとき【北条顕時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐あきとき【北条顕時】ホウデウ‐一二四八〜一三〇一]鎌倉中期の武将。実時の子。父の志を継ぎ、金沢文庫を隆盛にした。金沢顕時。

ほうじょう‐うじつな【北条氏綱】ホウデウうぢつな🔗🔉

ほうじょう‐うじつな【北条氏綱】ホウデウうぢつな一四八六〜一五四一]戦国時代の武将。早雲の子。伊豆・相模・武蔵・下総(しもうさ)などを征圧。小田原城下の商業発展を図り、後北条氏の基礎を確立した。

ほうじょう‐うじなお【北条氏直】ホウデウうぢなほ🔗🔉

ほうじょう‐うじなお【北条氏直】ホウデウうぢなほ一五六二〜一五九一]戦国時代の武将。氏政の長男。織田信長の没後、徳川家康と対立したが和睦。のち豊臣秀吉に小田原城を包囲攻撃され、降伏して高野山に追放。

ほうじょう‐うじまさ【北条氏政】ホウデウうぢまさ🔗🔉

ほうじょう‐うじまさ【北条氏政】ホウデウうぢまさ一五三八〜一五九〇]戦国時代の武将。氏康の長男。武田信玄・上杉謙信の攻防に連携・対抗しながら領土を確保した。晩年、豊臣秀吉に小田原城を包囲され、敗れて自刃。

ほうじょう‐うじやす【北条氏康】ホウデウうぢやす🔗🔉

ほうじょう‐うじやす【北条氏康】ホウデウうぢやす一五一五〜一五七一]戦国時代の武将。氏綱の長男。上杉憲政・古河公方(こがくぼう)足利晴氏を破り、武田・今川両氏と結んで関東進攻を図る上杉謙信に対抗し、後北条氏の最盛期を招いた。検地の実施や伝馬制度の整備など、領国経営に尽力した。

ほうじょうくだいき【北条九代記】ホウデウクダイキ🔗🔉

ほうじょうくだいき【北条九代記】ホウデウクダイキ 鎌倉末期の歴史書。二巻。著者未詳。寿永二〜元弘二=正慶元年(一一八三〜一三三二)の鎌倉幕府関係の重要事件などを編年体で記したもの。江戸前期の雑史書。一二巻。浅井了意著という。延宝三年(一六七五)刊。北条執権九代の事跡を物語ふうに記したもの。

ほうじょうくだいめいかのいさおし【北条九代名家功】ホウデウクダイメイカのいさをし🔗🔉

ほうじょうくだいめいかのいさおし【北条九代名家功】ホウデウクダイメイカのいさをし 歌舞伎狂言。時代物。三巻。河竹黙阿弥作。明治一七年(一八八四)東京猿若座初演。北条家の滅亡を中心に脚色した活歴物。上の巻の「高時(たかとき)」だけが上演され、新歌舞伎十八番の一となっている。

ほうじょう‐さねとき【北条実時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐さねとき【北条実時】ホウデウ‐一二二四〜一二七六]鎌倉中期の武将。義時の孫。引付衆・評定衆を歴任して、執権を補佐。学問を好み、書籍を書写・収集して、晩年に建てた武蔵国金沢の称名寺に保管。蔵書は子孫によって一層拡充され、金沢文庫となった。金沢実時。称名寺殿。

ほうじょう‐しげとき【北条重時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐しげとき【北条重時】ホウデウ‐一一九八〜一二六一]鎌倉前期の武将。義時の三男。六波羅探題・連署を歴任して、執権北条時頼を補佐。のち出家。彼の残した「北条重時家訓」は、後世の武家家訓のもととなった。極楽寺殿。

ほうじょう‐そううん【北条早雲】ホウデウサウウン🔗🔉

ほうじょう‐そううん【北条早雲】ホウデウサウウン一四三二〜一五一九]室町後期の武将。後北条氏の祖。初め伊勢新九郎長氏と称し、出家して早雲庵宗瑞と号。駿河の今川氏のもとにいたが、のち、伊豆韮山(にらやま)に移り、次いで小田原に進出。伊豆・相模を治め、後北条氏五代の基礎を築いた。

ほうじょう‐たかとき【北条高時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐たかとき【北条高時】ホウデウ‐一三〇三〜一三三三]鎌倉幕府第一四代執権。在職一三一六〜二六。若年で執権となったため政治を乱し、正中の変・元弘の変を招いた。のち、新田義貞に鎌倉を攻められて一族とともに自刃した。

ほうじょう‐たみお【北条民雄】ホウデウたみを🔗🔉

ほうじょう‐たみお【北条民雄】ホウデウたみを一九一四〜一九三七]小説家。ソウルの生まれ。ハンセン病患者として入院した最初の夜の経験をもとにした小説「いのちの初夜」で知られる。

ほうじょう‐だんすい【北条団水】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐だんすい【北条団水】ホウデウ‐一六六三〜一七一一]江戸前期の俳人・浮世草子作者。京都の人。井原西鶴の門人で、師の遺稿を刊行した。俳書「秋津しま」「俳諧団袋」、浮世草子「色道大鼓」「日本新永代蔵」など。

ほうじょう‐ときふさ【北条時房】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときふさ【北条時房】ホウデウ‐一一七五〜一二四〇]鎌倉前期の武将。時政の三男。義時の弟。承久の乱に北条泰時とともに上洛し、鎮定に当たった。のち、鎌倉に帰り、泰時を助けて執権政治の基礎を固めた。

ほうじょう‐ときまさ【北条時政】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときまさ【北条時政】ホウデウ‐一一三八〜一二一五]鎌倉幕府初代執権。在職一二〇三〜〇五。源頼朝の妻政子の父。通称、四郎。頼朝の挙兵を助け、鎌倉幕府創業に貢献。頼朝死後、二代将軍頼家を謀殺して実朝を擁立、初代執権として幕政の実権を握ったが、のち、実朝を除く計画が失敗して引退した。

ほうじょう‐ときむね【北条時宗】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときむね【北条時宗】ホウデウ‐一二五一〜一二八四]鎌倉幕府第八代執権。在職一二六八〜八四。時頼の長男。通称、相模太郎。元寇に際して強硬策をとり、文永・弘安の役でこれを撃退。禅を信仰し、中国宋より無学祖元を招き、円覚寺を建立した。

ほうじょう‐ときゆき【北条時行】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときゆき【北条時行】ホウデウ‐?〜一三五三]南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府の滅亡後、信濃にのがれ、建武政権に抗して挙兵。一時鎌倉を回復したが、足利尊氏に敗れた(中先代の乱)。のち、南朝に属して新田義興らに従い、再度鎌倉を占領したが、敗れて斬られた。

ほうじょう‐ときより【北条時頼】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときより【北条時頼】ホウデウ‐一二二七〜一二六三]鎌倉幕府第五代執権。在職一二四六〜五六。泰時の孫。法名、道崇。豪族三浦一族を滅ぼし、執権北条氏の権力を確立。執権を辞してから出家。禅を信仰し、中国宋より蘭渓道隆を招き、建長寺を建立。仁政と諸国遍歴の伝説がある。最明寺殿。

ほうじょう‐ひでじ【北条秀司】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ひでじ【北条秀司】ホウデウ‐一九〇二〜 ]劇作家。大阪の生まれ。本名、飯野秀二。岡本綺堂に師事。新派・新国劇・歌舞伎などの商業演劇の脚本を数多く執筆。作「閣下」「王将」「霧の音」「建礼門院」など。

ほうじょう‐まさこ【北条政子】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐まさこ【北条政子】ホウデウ‐一一五七〜一二二五]源頼朝の正室。源頼家・実朝の母。時政の長女。頼朝の死後尼となり、初め頼家、のち実朝を将軍としてその後見となった。実朝暗殺後は京都から九条頼経を四代将軍に迎え、執権政治を確立して尼将軍といわれた。平政子。

ほうじょう‐やすとき【北条泰時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐やすとき【北条泰時】ホウデウ‐一一八三〜一二四二]鎌倉幕府第三代執権。在職一二二四〜四二。義時の長男。通称、江馬太郎。承久の乱に上洛して鎮定に当たり、六波羅探題として乱後の処理にあたった。父の死後執権となり、評定衆の設置、御成敗式目の制定など、御家人中心の武家政治の確立に努めた。

ほうじょう‐よしとき【北条義時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐よしとき【北条義時】ホウデウ‐一一六三〜一二二四]鎌倉幕府第二代執権。在職一二〇五〜二四。時政の次男。通称、江馬小四郎。父時政の失脚後、執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、幕府権力を安定させ、北条氏の執権政治を固めた。

ほうじょう‐りゅう【△北条流】ホウデウリウ🔗🔉

ほうじょう‐りゅう【北条流】ホウデウリウ 江戸初期、小幡景憲の門人北条氏長が創始した軍学の流派。

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