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ふじわら‐の‐かねざね【藤原兼実】ふぢはら‐🔗🔉

ふじわら‐の‐かねざね【藤原兼実】ふぢはら‐ 九条兼実(くじようかねざね)

ふじわら‐の‐かねすけ【藤原兼輔】ふぢはら‐🔗🔉

ふじわら‐の‐かねすけ【藤原兼輔】ふぢはら‐八七七〜九三三]平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。邸宅が賀茂川の堤近くにあったので、堤中納言と称された。家集に「兼輔集」がある。

ふじわら‐の‐かねみち【藤原兼通】ふぢはら‐🔗🔉

ふじわら‐の‐かねみち【藤原兼通】ふぢはら‐九二五〜九七七]平安中期の公卿。師輔(もろすけ)の二男。長兄伊尹(これただ)の病死後、弟の兼家と関白職を争い、関白・太政大臣となった。

ふじわら‐の‐かまたり【藤原鎌足】ふぢはら‐🔗🔉

ふじわら‐の‐かまたり【藤原鎌足】ふぢはら‐六一四〜六六九]古代の中央豪族。本姓は中臣(なかとみ)氏。藤原氏の祖。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(のちの天智天皇)らと大化の改新を断行、改新政府の重鎮となり、律令体制の基礎を築いた。臨終に際し、天智天皇から大織冠(たいしよくかん)の冠位と藤原朝臣の姓を賜った。中臣鎌子。

ふじわら‐の‐かりゅう【藤原家隆】ふぢはら‐🔗🔉

ふじわら‐の‐かりゅう【藤原家隆】ふぢはら‐ ふじわらのいえたか

ふじわら‐の‐きよかわ【藤原清河】ふぢはら‐きよかは🔗🔉

ふじわら‐の‐きよかわ【藤原清河】ふぢはら‐きよかは 奈良時代の公卿。房前(ふささき)の四男。遣唐大使として渡唐。帰国の際、暴風にあい安南に漂着。再び唐に戻り、唐で没した。生没年未詳。

ふじわら‐の‐きよすけ【藤原清輔】ふぢはら‐🔗🔉

ふじわら‐の‐きよすけ【藤原清輔】ふぢはら‐一一〇四〜一一七七]平安後期の歌人・歌学者。顕輔(あきすけ)の子。六条家の中心人物で、俊成と並び称された。二条天皇の命で、「続詞花集」を撰。著「奥義抄」「袋草紙」、家集「清輔朝臣集」など。

ふじわら‐の‐きよひら【藤原清衡】ふぢはら‐🔗🔉

ふじわら‐の‐きよひら【藤原清衡】ふぢはら‐一〇五六〜一一二八]平安後期の陸奥(むつ)の豪族。後三年の役に源義家と結んで清原氏を滅ぼし、陸奥六郡を領有。平泉に奥州藤原氏の基礎を築き、中尊寺を建立。清原清衡。

ふじわら‐の‐きんとう【藤原公任】ふぢはら‐きんたふ🔗🔉

ふじわら‐の‐きんとう【藤原公任】ふぢはら‐きんたふ九六六〜一〇四一]平安中期の歌人・歌学者。通称、四条大納言。故実に詳しく、また、漢詩・和歌・音楽にすぐれた。「和漢朗詠集」「拾遺抄」「三十六人撰」などを撰。歌論書「新撰髄脳」「和歌九品」、家集「公任集」、有職故実書「北山抄」など。

大辞泉 ページ 13098