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おおはし【大橋】おほはし🔗🔉

おおはし【大橋】おほはし 姓氏の一。

おお‐はじ【大恥】おほはぢ🔗🔉

おお‐はじ【大恥】おほはぢ ひどく面目を失うこと。赤恥。「人前で―をかかされる」

おおはし‐おとわ【大橋乙羽】おほはしおとは🔗🔉

おおはし‐おとわ【大橋乙羽】おほはしおとは一八六九〜一九〇一]小説家・出版人。山形の生まれ。旧姓、渡部。本名、又太郎。硯友社同人。博文館館主大橋佐平の長女と結婚して、博文館支配人として活躍した。小説「露小袖」、紀行文集「千山万水」など。

おおはし‐しんたろう【大橋新太郎】おほはしシンタラウ🔗🔉

おおはし‐しんたろう【大橋新太郎】おほはしシンタラウ一八六三〜一九四四]実業家。新潟の生まれ。父佐平とともに明治一四年(一八八一)に「越佐毎日新聞」を創刊。上京して博文館を創立、出版界に貢献した。のち、衆議院議員・貴族院議員。

おおはし‐そうけい【大橋宗桂】おほはし‐🔗🔉

おおはし‐そうけい【大橋宗桂】おほはし‐一五五五〜一六三四]安土桃山時代・江戸初期の将棋棋士。江戸時代の将棋家元大橋家の始祖。京都の人。旧名は宗慶。織田信長・徳川家康に仕え、幕府の将棋所の司(つかさ)となる。

おおはし‐とつあん【大橋訥庵】おほはし‐🔗🔉

おおはし‐とつあん【大橋訥庵】おほはし‐一八一六〜一八六二]江戸末期の儒学者。江戸の人。日本橋の豪商大橋家の養子。佐藤一斎に学び、朱子学を唱えて、攘夷(じようい)を主張した。老中安藤信正襲撃を計画して投獄され、獄死。著「闢邪小言(へきじやしようげん)」「元寇紀略(げんこうきりやく)」など。

おお‐ばしょ【大場所】おほ‐🔗🔉

おお‐ばしょ【大場所】おほ‐ 広い場所。正式の場所。相撲の本場所。

おおはし‐りゅう【大橋流】おほはしリウ🔗🔉

おおはし‐りゅう【大橋流】おほはしリウ 御家流(おいえりゆう)の一派。江戸前期、大橋重保・重政父子が創始。書風は流麗で近世に広く流行した。

おお‐はず【大×筈】おほ‐🔗🔉

おお‐はず【大×筈】おほ‐ 無責任なこと。いいかげんなこと。「嘘をつかず―いはぬ男」〈浮・禁短気・六〉

おおはず‐もの【大×筈者】おほはず‐🔗🔉

おおはず‐もの【大×筈者】おほはず‐ 無責任でいいかげんな者。「生れつき如在(じよさい)なくて―といはれ」〈浮・懐硯・四〉

大辞泉 ページ 2004