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このえ‐の‐つかさ【△近△衛△府】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐の‐つかさ【△近△衛△府】コノヱ‐
「このえふ」に同じ。「―いとつきづきしき姿して、ことども行ふ」〈栄花・初花〉
このえ‐の‐とねり【△近△衛舎=人】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐の‐とねり【△近△衛舎=人】コノヱ‐
近衛府の下級職員。宮中の警護、天皇・皇族・大臣らの近侍などを務めた。近衛。
このえ‐のぶただ【近衛信尹】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐のぶただ【近衛信尹】コノヱ‐
[一五六五〜一六一四]安土桃山時代の公卿。前久(さきひさ)の子。初名、信基、のち信輔。号、三藐院(さんみやくいん)。書にすぐれ、その書風は近衛流とよばれる。寛永の三筆の一人。日記「三藐院記」がある。
このえ‐の‐みかど【近衛の御門】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐の‐みかど【近衛の御門】コノヱ‐
陽明門の異称。
このえ‐ふ【△近△衛府】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐ふ【△近△衛府】コノヱ‐
律令制の官司の一。令外(りようげ)の官。天平神護元年(七六五)授刀衛を近衛府と改称、さらに大同二年(八〇七)近衛府を左近衛府、中衛府を右近衛府とした。兵仗(ひようじよう)を帯びて宮中を警護し、朝儀に参列して威儀をととのえ、行幸に供奉した。四等官(しとうかん)のほか、府生(ふしよう)・番長などの職員がいた。近衛。親衛。羽林。このえづかさ。このえのつかさ。こんえふ。ちかきまもりのつかさ。
このえ‐ふみまろ【近衛文麿】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐ふみまろ【近衛文麿】コノヱ‐
[一八九一〜一九四五]政治家。東京の生まれ。篤麿(あつまろ)の長男。昭和一二年(一九三七)内閣を組織し日中戦争に突入。第三次内閣では東条英機陸相の対米主戦論を抑えきれず総辞職。戦後、戦犯に指名され、服毒自殺。
このえ‐へい【△近△衛兵】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐へい【△近△衛兵】コノヱ‐
宮中の警固、天皇の輿(こし)の警備などにあたった天皇の親兵。明治以降は、近衛師団所属の兵。
このえ‐ぼたん【△近△衛×牡丹】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐ぼたん【△近△衛×牡丹】コノヱ‐
近衛家の家紋。牡丹(ぼたん)の花と葉を取り合わせたもの。
このえ‐もん【近衛門】コノヱ‐🔗⭐🔉
このえ‐もん【近衛門】コノヱ‐
陽明門の異称。
このえ‐りゅう【△近△衛流】コノヱリウ🔗⭐🔉
このえ‐りゅう【△近△衛流】コノヱリウ
慶長(一五九六〜一六一五)のころ、近衛信尹(このえのぶただ)に始まる和様書道の一流派。書風は力強く豪快。三藐院(さんみやくいん)流。
大辞泉 ページ 5652。