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せき‐がん【隻眼】🔗⭐🔉
せき‐がん【隻眼】
一つの目。片目。
ものを見抜く眼識。すぐれた識見。また、独自の見識。一隻眼。「我が―の爛々(らんらん)たる方万里を照らして」〈魯庵・社会百面相〉
一つの目。片目。
ものを見抜く眼識。すぐれた識見。また、独自の見識。一隻眼。「我が―の爛々(らんらん)たる方万里を照らして」〈魯庵・社会百面相〉
せき‐かんさい【関寛斎】‐クワンサイ🔗⭐🔉
せき‐かんさい【関寛斎】‐クワンサイ
[一八三〇〜一九一三]幕末・明治期の蘭方医。上総(かずさ)の人。佐倉順天堂の蘭方医佐藤泰然に入門、長崎でポンペに学ぶ。のち、徳島藩医となり、戊辰戦争では官軍の奥羽出張病院頭取を勤め、晩年は北海道開拓に尽力。
せき‐かんとう【石敢当】‐カンタウ🔗⭐🔉
せき‐かんとう【石敢当】‐カンタウ
《「敢当」は、あえて当たる、向かうところ敵なし、の意》道の突き当たりや門・橋などに「石敢当」の三字を石に刻んで立てたもの。邪気を払うとされる。主に沖縄から九州にかけて分布。いしがんとう。
《「敢当」は、あえて当たる、向かうところ敵なし、の意》道の突き当たりや門・橋などに「石敢当」の三字を石に刻んで立てたもの。邪気を払うとされる。主に沖縄から九州にかけて分布。いしがんとう。
せき‐ぐち【×堰口・関口】🔗⭐🔉
せき‐ぐち【×堰口・関口】
井堰(いせき)の水の流出口。
せきぐち【関口】🔗⭐🔉
せきぐち【関口】
姓氏の一。
せきぐち‐うじむね【関口氏心】‐うぢむね🔗⭐🔉
せきぐち‐うじむね【関口氏心】‐うぢむね
[一五九八〜一六七〇]江戸初期の柔術家。関口流の祖。号、柔心。紀州藩に仕えた。
せきぐち‐たかよし【関口隆吉】🔗⭐🔉
せきぐち‐たかよし【関口隆吉】
[一八三六〜一八八九]政治家。江戸の人。字(あざな)は良輔。通称、権助。号、黙斎。関口鯉吉・新村出の父。旧幕臣で、元老院議官・静岡県知事などを歴任した。
せきぐち‐りきち【関口鯉吉】🔗⭐🔉
せきぐち‐りきち【関口鯉吉】
[一八八六〜一九五一]天文・気象学者。東京の生まれ。気象学に天文学的測定法を導入、富士山頂の気象観測を開始した。東大教授・中央気象台長・東京天文台長を歴任。著「太陽」「天体物理学」など。
せきぐち‐りゅう【関口流】‐リウ🔗⭐🔉
せきぐち‐りゅう【関口流】‐リウ
柔術の一派。江戸初期に起こった流派で、関口氏心(せきぐちうじむね)が居合と柔術を組み合わせて創始。新心流。
せき‐ぐん【赤軍】🔗⭐🔉
せき‐ぐん【赤軍】
ソ連陸軍の旧称。正式には労農赤軍といい、一九一八年に赤衛軍に代わって組織された。一九四六年、ソビエト軍と改称。
せき‐けいとう【石敬
】‐ケイタウ🔗⭐🔉
せき‐けいとう【石敬
】‐ケイタウ
[八九二〜九四二]中国、五代の後晋の建国者。廟号は高祖。在位九三六〜四二。沙陀突厥(さだとつけつ)の出身。後唐の明宗に仕えたが、その没後、契丹(きつたん)の援助を得て後唐を滅ぼして帝位についた。
】‐ケイタウ
[八九二〜九四二]中国、五代の後晋の建国者。廟号は高祖。在位九三六〜四二。沙陀突厥(さだとつけつ)の出身。後唐の明宗に仕えたが、その没後、契丹(きつたん)の援助を得て後唐を滅ぼして帝位についた。
大辞泉 ページ 8439。
せっく(隻句)