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だいこく‐まい【大黒舞】‐まひ🔗⭐🔉
だいこく‐まい【大黒舞】‐まひ
室町時代から江戸時代にかけて行われた門付け芸の一。正月に大黒天の面をつけて赤い頭巾(ずきん)をかぶり、打ち出の小槌(こづち)を持って門口に立ち、新作した祝いの詞(ことば)を歌いながら舞う。民俗芸能として、山形県・鳥取県などに残存。《季 新年》
歌舞伎舞踊。常磐津。本名題「舞奏(もうておりそえ)いろの種蒔(たねまき)」。天保一二年(一八四一)江戸市村座初演。三世桜田治助作詞、五世岸沢式佐作曲。当時浅草奥山で評判の大黒舞を写したもの。
室町時代から江戸時代にかけて行われた門付け芸の一。正月に大黒天の面をつけて赤い頭巾(ずきん)をかぶり、打ち出の小槌(こづち)を持って門口に立ち、新作した祝いの詞(ことば)を歌いながら舞う。民俗芸能として、山形県・鳥取県などに残存。《季 新年》
歌舞伎舞踊。常磐津。本名題「舞奏(もうておりそえ)いろの種蒔(たねまき)」。天保一二年(一八四一)江戸市村座初演。三世桜田治助作詞、五世岸沢式佐作曲。当時浅草奥山で評判の大黒舞を写したもの。
だい‐こくみん【大国民】🔗⭐🔉
だい‐こくみん【大国民】
大国の国民。
りっぱな国民。
大国の国民。
りっぱな国民。
だいこくや‐こうだゆう【大黒屋光太夫】‐クワウダイフ🔗⭐🔉
だいこくや‐こうだゆう【大黒屋光太夫】‐クワウダイフ
[一七五一〜一八二八]江戸中期の船頭。伊勢の人。名は幸太夫とも書く。天明二年(一七八二)米を江戸に回漕(かいそう)中に暴風にあい、アリューシャン列島アムチトカ島に漂着。ロシアに一〇年間滞留し、エカテリーナ二世に謁見。その時の記録に「北槎聞略(ほくさぶんりやく)」がある。
だいこくれんが【大黒連歌】🔗⭐🔉
だいこくれんが【大黒連歌】
狂言。子(ね)祭りに信者たちが大黒天に連歌を奉納すると、大黒天が現れて打ち出の小槌(こづち)や袋などの宝を与える。
たいこ‐ざ【太鼓座】🔗⭐🔉
たいこ‐ざ【太鼓座】
能舞台の囃子(はやし)座のうちで、太鼓方のすわる所。舞台奥の後座(あとざ)の、向かって左のあたり。
だいご‐さん【醍醐山】🔗⭐🔉
だいご‐さん【醍醐山】
京都市伏見区東部にある山。山上に西国十一番札所の准胝堂(じゆんていどう)がある。日野岳。
だい‐ごし【台越し】🔗⭐🔉
だい‐ごし【台越し】
輦台(れんだい)に乗って川を渡ること。「―にいたさう。なんぼぢゃ」〈滑・膝栗毛・三〉
だいご‐じ【醍醐寺】🔗⭐🔉
だいご‐じ【醍醐寺】
京都市伏見区にある真言宗醍醐派の総本山。山号は深雪山・笠取山。開創は貞観一六年(八七四)、開山は聖宝。笠取山全山が寺域で、准胝堂や如意輪堂などのある山上を上(かみ)醍醐、三宝院・金堂・五重塔のある山麓を下(しも)醍醐という。江戸時代、三宝院は修験道当山派の拠点だった。国宝の五重塔は創建当初のもので、京都における最古の塔。ほかに多数の国宝・重要文化財・古文書を所蔵。
大辞泉 ページ 9076。