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○大黒柱を蟻が挵るだいこくばしらをありがせせる🔗⭐🔉
○大黒柱を蟻が挵るだいこくばしらをありがせせる
でんと立つ大きな大黒柱を小さな蟻が刺す意で、まったく動じないこと。また、力の無いものが不釣合の大きな事をすること。
⇒だい‐こく【大黒】
だいこく‐ぼうし【大黒帽子】
大黒頭巾のように、上が丸形で側辺のふくれた帽子。
⇒だい‐こく【大黒】
だいこく‐まい【大黒舞】‥マヒ
①室町時代に発生し、近世にかけて行われた門かど付け芸。仮面をかぶり頭巾をつけ、大黒天の姿をして門戸に立って新年嘉祝の詞を述べ、「ござった、ござった、福の神を先に立て、大黒殿がござった、一は俵をふまえて、二ににっこりと笑い…」などと唄い舞うもの。
大黒舞
②歌舞伎舞踊。常磐津。本名題「舞奏もうておりそえいろの種蒔」。3世桜田治助作詞。三番叟から一転してこの曲になり、3人の大黒舞が口合くちあいを言いながらの踊り。
⇒だい‐こく【大黒】
だいこく‐まつり【大黒祭】
大黒天の縁日である甲子の日に、二股大根などを供えて福徳を祈る行事。
⇒だい‐こく【大黒】
だいこく‐まわし【大黒舞わし】‥マハシ
(九州で)正月に祝言を唱えてまわる物乞人。
⇒だい‐こく【大黒】
だい‐こくみん【大国民】
①大きな国の国民。
②立派な国民。
だいこくや‐こうだゆう【大黒屋光太夫】‥クワウダイフ
(名は幸太夫とも)江戸後期の船頭。伊勢の人。1783年1月(天明2年12月)米を江戸に廻漕中難船、アリューシャン列島アムチトカ島に漂着、その後ロシアに滞留、女帝エカテリーナ2世に謁見、92年(寛政4)ラックスマンに伴われて帰国、見聞を具申。「北槎聞略ほくさぶんりゃく」はその記録。(1751〜1828)
→資料:『北槎聞略』
だいご‐こうとう‐がっこう【第五高等学校】‥カウ‥ガクカウ
旧制官立高等学校の一つ。1887年(明治20)熊本に設立された第五高等中学校が前身。94年高等学校。1949年新制熊本大学に統合。略称、五高。→熊本大学。
⇒だい‐ご【第五】
たいこ‐ざ【太鼓座】
能舞台で太鼓の役がすわる所。それよりやや離れた後見座または常座じょうざを指すこともある。
⇒たい‐こ【太鼓】
だいご‐さん【醍醐山】
京都市伏見区東部にある山。標高450メートル。全山が醍醐寺の寺域。日野岳。
⇒だいご【醍醐】
だい‐ごし【台越し】
江戸時代、輦台れんだいで川を渡ること。東海道中膝栗毛3「―にいたさう」
だいご‐じ【醍醐寺】
京都市伏見区にある真言宗醍醐派の総本山。874年(貞観16)聖宝が今日の「上かみ醍醐」を創立。続いて山麓の「下しも醍醐」に、952年(天暦6)造立の五重塔などの伽藍が整備。室町時代まで東密小野流・三論教学の拠点として繁栄。上醍醐の観音堂は西国三十三所第11番の札所。→三宝院。
⇒だいご【醍醐】
だいこ‐じめ【大根注連】
太いしめなわの俗称。
⇒だい‐こ【大根】
たいこ‐じょろう【太鼓女郎】‥ヂヨラウ
近世初期の上方遊里で、三味線などを弾いて一座の興を助け、取持ちをする女郎。囲かこい女郎半夜なみ9匁の揚代であった。好色一代男4「世之介は―にさへ振られて」
⇒たい‐こ【太鼓】
たいこ‐ずみ【太鼓炭】
大形の丸い切炭。胴炭。阿波手集「俵しむる縄はしらべか―」
⇒たい‐こ【太鼓】
たいこ‐せき【太湖石】
溶解して奇形を呈した石灰岩の塊。庭園または植木鉢などに置いて観賞する。もと中国太湖に多く産出し、日本では岐阜県大垣市金生山きんしょうざんに産出する。
⇒たい‐こ【太湖】
たいこ‐だい【太古代】
(→)始生代に同じ。
⇒たい‐こ【太古】
だいこ‐たき【大根焚き】
12月(もと11月)9・10両日、京都市右京区鳴滝の了徳寺で行う、大根を煮て開山親鸞聖人に供え、参詣者もともに食する行事。
⇒だい‐こ【大根】
たいこ‐たたき【太鼓叩き】
①太鼓をうち鳴らすこと。また、その人。
②うまいことを言って人の機嫌をとること。また、その人。たいこもち。
⇒たい‐こ【太鼓】
たい‐こつ【腿骨】
大腿骨と下腿骨。すなわち、大腿骨・脛骨けいこつ・腓骨ひこつをくるめての俗称。
だいご‐てってい【大悟徹底】
〔仏〕大悟して何らの煩悩迷妄を残さないこと。悟りきること。
⇒だい‐ご【大悟】
だいご‐てんのう【醍醐天皇】‥ワウ
平安前期の天皇。宇多天皇の第1皇子。名は敦仁あつぎみ。後山科帝・小野帝とも。藤原時平・菅原道真らの補佐の下に国を治め、後世延喜の治と称される。古今和歌集を勅撰。(在位897〜930)(885〜930)→天皇(表)
だいご‐の‐ごもんぜき【醍醐の五門跡】
輪番で醍醐寺の門跡になった三宝院・理性院・金剛王院・無量寿院・報恩院の総称。
⇒だいご【醍醐】
だいご‐の‐さんりゅう【醍醐の三流】‥リウ
真言宗の事相の流派の一つ。小野六流のうち、醍醐三宝院の勝覚の弟子定海を祖とする三宝院流、聖賢を祖とする金剛王院流、賢覚を祖とする理性院流の総称。
⇒だいご【醍醐】
だいご‐の‐はなみ【醍醐の花見】
慶長3年(1598)3月15日、豊臣秀吉が醍醐寺の三宝院で催した豪華な花見の宴。
⇒だいご【醍醐】
②歌舞伎舞踊。常磐津。本名題「舞奏もうておりそえいろの種蒔」。3世桜田治助作詞。三番叟から一転してこの曲になり、3人の大黒舞が口合くちあいを言いながらの踊り。
⇒だい‐こく【大黒】
だいこく‐まつり【大黒祭】
大黒天の縁日である甲子の日に、二股大根などを供えて福徳を祈る行事。
⇒だい‐こく【大黒】
だいこく‐まわし【大黒舞わし】‥マハシ
(九州で)正月に祝言を唱えてまわる物乞人。
⇒だい‐こく【大黒】
だい‐こくみん【大国民】
①大きな国の国民。
②立派な国民。
だいこくや‐こうだゆう【大黒屋光太夫】‥クワウダイフ
(名は幸太夫とも)江戸後期の船頭。伊勢の人。1783年1月(天明2年12月)米を江戸に廻漕中難船、アリューシャン列島アムチトカ島に漂着、その後ロシアに滞留、女帝エカテリーナ2世に謁見、92年(寛政4)ラックスマンに伴われて帰国、見聞を具申。「北槎聞略ほくさぶんりゃく」はその記録。(1751〜1828)
→資料:『北槎聞略』
だいご‐こうとう‐がっこう【第五高等学校】‥カウ‥ガクカウ
旧制官立高等学校の一つ。1887年(明治20)熊本に設立された第五高等中学校が前身。94年高等学校。1949年新制熊本大学に統合。略称、五高。→熊本大学。
⇒だい‐ご【第五】
たいこ‐ざ【太鼓座】
能舞台で太鼓の役がすわる所。それよりやや離れた後見座または常座じょうざを指すこともある。
⇒たい‐こ【太鼓】
だいご‐さん【醍醐山】
京都市伏見区東部にある山。標高450メートル。全山が醍醐寺の寺域。日野岳。
⇒だいご【醍醐】
だい‐ごし【台越し】
江戸時代、輦台れんだいで川を渡ること。東海道中膝栗毛3「―にいたさう」
だいご‐じ【醍醐寺】
京都市伏見区にある真言宗醍醐派の総本山。874年(貞観16)聖宝が今日の「上かみ醍醐」を創立。続いて山麓の「下しも醍醐」に、952年(天暦6)造立の五重塔などの伽藍が整備。室町時代まで東密小野流・三論教学の拠点として繁栄。上醍醐の観音堂は西国三十三所第11番の札所。→三宝院。
⇒だいご【醍醐】
だいこ‐じめ【大根注連】
太いしめなわの俗称。
⇒だい‐こ【大根】
たいこ‐じょろう【太鼓女郎】‥ヂヨラウ
近世初期の上方遊里で、三味線などを弾いて一座の興を助け、取持ちをする女郎。囲かこい女郎半夜なみ9匁の揚代であった。好色一代男4「世之介は―にさへ振られて」
⇒たい‐こ【太鼓】
たいこ‐ずみ【太鼓炭】
大形の丸い切炭。胴炭。阿波手集「俵しむる縄はしらべか―」
⇒たい‐こ【太鼓】
たいこ‐せき【太湖石】
溶解して奇形を呈した石灰岩の塊。庭園または植木鉢などに置いて観賞する。もと中国太湖に多く産出し、日本では岐阜県大垣市金生山きんしょうざんに産出する。
⇒たい‐こ【太湖】
たいこ‐だい【太古代】
(→)始生代に同じ。
⇒たい‐こ【太古】
だいこ‐たき【大根焚き】
12月(もと11月)9・10両日、京都市右京区鳴滝の了徳寺で行う、大根を煮て開山親鸞聖人に供え、参詣者もともに食する行事。
⇒だい‐こ【大根】
たいこ‐たたき【太鼓叩き】
①太鼓をうち鳴らすこと。また、その人。
②うまいことを言って人の機嫌をとること。また、その人。たいこもち。
⇒たい‐こ【太鼓】
たい‐こつ【腿骨】
大腿骨と下腿骨。すなわち、大腿骨・脛骨けいこつ・腓骨ひこつをくるめての俗称。
だいご‐てってい【大悟徹底】
〔仏〕大悟して何らの煩悩迷妄を残さないこと。悟りきること。
⇒だい‐ご【大悟】
だいご‐てんのう【醍醐天皇】‥ワウ
平安前期の天皇。宇多天皇の第1皇子。名は敦仁あつぎみ。後山科帝・小野帝とも。藤原時平・菅原道真らの補佐の下に国を治め、後世延喜の治と称される。古今和歌集を勅撰。(在位897〜930)(885〜930)→天皇(表)
だいご‐の‐ごもんぜき【醍醐の五門跡】
輪番で醍醐寺の門跡になった三宝院・理性院・金剛王院・無量寿院・報恩院の総称。
⇒だいご【醍醐】
だいご‐の‐さんりゅう【醍醐の三流】‥リウ
真言宗の事相の流派の一つ。小野六流のうち、醍醐三宝院の勝覚の弟子定海を祖とする三宝院流、聖賢を祖とする金剛王院流、賢覚を祖とする理性院流の総称。
⇒だいご【醍醐】
だいご‐の‐はなみ【醍醐の花見】
慶長3年(1598)3月15日、豊臣秀吉が醍醐寺の三宝院で催した豪華な花見の宴。
⇒だいご【醍醐】
広辞苑 ページ 11800 での【○大黒柱を蟻が挵る】単語。