複数辞典一括検索+
○難波の葦は伊勢の浜荻なにわのあしはいせのはまおぎ🔗⭐🔉
○難波の葦は伊勢の浜荻なにわのあしはいせのはまおぎ
同じ物でも、所によって呼び名が違うことのたとえ。
玖波集「草の名も所によりて変るなり―」
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわ‐の‐ながらのとよさき‐の‐みや【難波長柄豊碕宮】ナニハ‥
孝徳天皇の造営した難波宮の正称。第二次大戦後の発掘で、大極殿跡その他を発見。
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわ‐の‐ほりえ【難波の堀江】ナニハ‥
仁徳天皇が水害を防ぐために、高津たかつ宮の北に掘ったという運河。
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわ‐の‐みや【難波宮】ナニハ‥
古代、大阪市中央区法円坂の一帯にあった皇居の総称。
①孝徳天皇の645年(大化1)より造営。天武天皇の陪都としても使用。686年(朱鳥1)焼失。→難波長柄豊碕宮。
②聖武天皇の皇居の一つ。
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわ‐ばし【難波橋】ナニハ‥
大阪市の土佐堀川・中之島・堂島川に架かる橋。中央区北浜二丁目と北区西天満一丁目とを結ぶ。
難波橋
撮影:的場 啓
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわ‐ぶし【浪花節】ナニハ‥
多く軍書・講釈・物語・演劇・文芸作品を材料とし、三味線の伴奏で独演する語り物。もと説経祭文せっきょうさいもんから転化したもので、初めは、うかれ節・ちょぼくれ・ちょんがれ節などと呼ばれた。江戸末期に大坂から始まり、浪花伊助を祖と伝えるが、盛んになったのは明治以後で、桃中軒雲右衛門の功が大きい。浪曲。幸田露伴、いさなとり「田舎に住むで聞く者は下手な―ばかり」
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわぶし‐しばい【浪花節芝居】ナニハ‥ヰ
浪花節の節に合わせて演ずる演劇。1897年(明治30)市川小円次が高松で始めたという。大正年間、全国で流行。節劇ふしげき。身振り浪花節。
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわぶし‐てき【浪花節的】ナニハ‥
言動や考え方が義理人情に重きを置き、古風で通俗的なさま。「―な行動」
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なにわみやげ【難波土産】ナニハ‥
浄瑠璃の注釈書。三木貞成著。5巻。1738年(元文3)刊。発端に穂積以貫の聞書によるとされる近松門左衛門の芸論(「虚実皮膜論」)があり貴重。
→文献資料[難波土産]
なにわ‐やき【難波焼】ナニハ‥
江戸前期、承応(1652〜1655)の頃から大阪市中央区高津こうづの近辺で焼かれた陶器。高津焼。
⇒なにわ【難波・浪速・浪花】
なに‐を【何を】
〔感〕
相手に腹を立てて問い返したり反発したりして言う語。「―、ふざけるな」
なに‐を‐か【何をか】
(多く下を「…んや」で結んで反語・疑問の意を表す)何を…か。「―言わんや」


広辞苑 ページ 14701 での【○難波の葦は伊勢の浜荻】単語。