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○曰く言い難しいわくいいがたし🔗⭐🔉
○曰く言い難しいわくいいがたし
[孟子公孫丑上](公孫丑こうそんちゅうが、「浩然の気」とは何かと問うたとき、孟子は「言い難し」と曰いったことから)言葉では何とも説明しにくいと言うよりほかない。
⇒いわく【曰く】
いわく‐いんねん【曰く因縁】イハク‥エン
物事の背後にある由来やいきさつ。「一口で言えない―がある」
⇒いわく【曰く】
いわ‐くえ【岩崩え】イハ‥
岩のくずれ。万葉集14「鎌倉のみごしの崎の―の」
いわくす‐ぶね【岩樟船】イハ‥
⇒あまのいわくすぶね
いわ‐ぐすり【石斛】イハ‥
〔植〕セッコクの古名。〈本草和名〉
いわ‐くだす【岩下す】イハ‥
〔枕〕
(一説に「岩壊す」)「かしこし」にかかる。仁徳紀「―畏くとも吾あれ養はむ」
いわ‐ぐつ【いは沓】イハ‥
麻で作ったわらじ。麻沓おぐつ。
いわく‐つき【曰く付き】イハク‥
①何か特別の事情のあること。また、そのようなもの。
②犯罪の前歴などがあること。
⇒いわく【曰く】
いわくに【岩国】イハ‥
山口県東端の市。もと吉川きっかわ氏6万石の城下町。錦川の左岸にあり、錦帯橋は有名。海岸部に石油化学工業が発達。人口15万。
⇒いわくに‐ちぢみ【岩国縮】
⇒いわくに‐ばんし【岩国半紙】
いわくに‐ちぢみ【岩国縮】イハ‥
岩国市付近から産出する木綿縮。夏の単衣地ひとえじとする。
⇒いわくに【岩国】
いわくに‐ばんし【岩国半紙】イハ‥
岩国地方に産するコウゾ製の半紙。天正(1573〜1592)年間、小瀬村(現、岩国市)の農民、太郎右衛門の創製という。
⇒いわくに【岩国】
いわく‐まど【曰窓】イハク‥
「曰」の字のように、横木を入れた窓。武家屋敷に用いた。
⇒いわく【曰く】
いわ‐ぐみ【岩組み】イハ‥
①岩石の積み重なった山。また、庭園などの岩の配置。石組。
②歌舞伎の大道具の、はりこの岩。
③〔植〕
㋐イワヒバの別称。〈本草和名〉
㋑ヒトツバの別称。〈倭名類聚鈔20〉
㋒コケモモの別称。
いわ‐ぐも【岩雲】イハ‥
夏の雲。岩の形に似ているからいう。
いわ‐くら【岩座・磐座】イハ‥
①(イハは堅固の意)神の鎮座する所。天関いわくら。神代紀下「天の―を離おしはなち」
②山中の大岩や崖。
いわくら【岩倉】イハ‥
①もと京都府愛宕おたぎ郡岩倉村。今、京都市左京区に属する。幕末岩倉具視が一時住んだ地。(歌枕)
②愛知県北西部、濃尾平野中部の市。織物や鯉幟こいのぼりの製造が盛ん。名古屋の衛星都市化が進む。人口4万8千。
いわくら【岩倉】イハ‥
姓氏の一つ。村上源氏久我こが家流の公家。
⇒いわくら‐しせつだん【岩倉使節団】
⇒いわくら‐ともみ【岩倉具視】
⇒いわくら‐りゅう【岩倉流】
いわくら‐しせつだん【岩倉使節団】イハ‥
廃藩置県直後の1871年(明治4)11月より翌々年9月にかけて、明治政府が米欧に派遣した使節団。条約改正の準備交渉や海外視察などを使命とした。特命全権大使の岩倉具視、副使の木戸孝允・大久保利通・伊藤博文・山口尚芳以下、多くの官員が参加、津田梅子ら留学生も同行し、総勢100名をこえた。岩倉遣米欧使節団。
⇒いわくら【岩倉】
いわくら‐ともみ【岩倉具視】イハ‥
幕末・明治前期の公家・政治家。京都生れ。もと堀河氏、のち岩倉氏の養子。公武合体に努めるが、のち討幕運動の宮廷における中心。維新後、政府の中枢。条約改正準備のため使節団を率い米欧を回る。(1825〜1883)
岩倉具視
提供:毎日新聞社
→資料:『米欧回覧実記』
⇒いわくら【岩倉】
いわくら‐りゅう【岩倉流】イハ‥リウ
日本泳法の一派。紀州藩士岩倉重昌が指導したのによる。川上流。
⇒いわくら【岩倉】
いわ‐ぐんじょう【岩群青】イハ‥ジヤウ
岩絵具の一種。天然に藍銅鉱らんどうこうとして産する。成分は塩基性炭酸銅。古来、東洋絵画で青色の顔料とする。
いわけ‐な・し【稚し】イハケナシ
〔形ク〕
(イワケナシの仮名遣もあるが未詳)こどもらしい。あどけない。おさない。源氏物語桐壺「―・くおはしし時より見奉り」
いわけ‐の‐ぜに【射分銭】
弓場始ゆばはじめに、射手に賜う賭物のりものの銭。
いわ‐こす【岩越】イハ‥
①琴柱ことじの上部の溝の部分で、弦をのせる所。
②上東門院秘蔵の箏の名器の名。
いわさ【岩佐】イハ‥
姓氏の一つ。
⇒いわさ‐またべえ【岩佐又兵衛】
いわ‐ざ【岩座】イハ‥
岩をかたどった仏像の台座。
いわ‐さか【磐境】イハ‥
(イハは堅固の意)神の鎮座する施設・区域。神代紀下「天つ―を起し樹てて」
いわ‐さき【岩崎】イハ‥
岩の突き出た所。平家物語9「三十丈の谷、十五丈の―なんど申す所は」
いわさき【岩崎】イハ‥
姓氏の一つ。
⇒いわさき‐かんえん【岩崎灌園】
⇒いわさき‐こやた【岩崎小弥太】
⇒いわさき‐ひさや【岩崎久弥】
⇒いわさき‐やたろう【岩崎弥太郎】
⇒いわさき‐やのすけ【岩崎弥之助】
いわさき‐かんえん【岩崎灌園】イハ‥クワンヱン
江戸後期の本草学者。幕府徒士かち。名は常正。小野蘭山に本草を学ぶ。のちシーボルトとともに研究。著「本草図譜」「草木育種そうもくそだてぐさ」「武江産物志」など。(1786〜1842)
⇒いわさき【岩崎】
いわさき‐こやた【岩崎小弥太】イハ‥
実業家。弥之助の長男。ケンブリッジ大卒。三菱合資会社社長。三菱財閥の発展に寄与。東京フィルハーモニック‐ソサエチー・成蹊学園を設立、静嘉堂文庫を公開。(1879〜1945)
⇒いわさき【岩崎】
いわさき‐ひさや【岩崎久弥】イハ‥
実業家。弥太郎の長男。土佐生れ。慶応義塾・ペンシルヴァニア大学に学ぶ。三菱合資会社社長。内外で農牧畜業に進出。東洋文庫を創設。(1865〜1955)
⇒いわさき【岩崎】
いわさき‐やたろう【岩崎弥太郎】イハ‥ラウ
明治初期の実業家。三菱財閥の創業者。土佐出身。抜擢されて藩の通商をつかさどるが、のち運輸業者として独立、三菱商会を起こし、三井と共に明治以降の財界を両分した。(1834〜1885)
岩崎弥太郎
提供:毎日新聞社
⇒いわさき【岩崎】
いわさき‐やのすけ【岩崎弥之助】イハ‥
実業家。弥太郎の弟。弥太郎の没後、三菱会社社長。日本郵船会社創立のほか造船・炭鉱・銀行業などに進出、三菱財閥の形成に尽力。1896年(明治29)日本銀行総裁、金本位制確立に携わる。静嘉堂文庫を創設。(1851〜1908)
岩崎弥之助
提供:毎日新聞社
⇒いわさき【岩崎】
いわさ‐またべえ【岩佐又兵衛】イハ‥ヱ
江戸初期の画家。名は勝以かつもち。号は道薀どううん。武将荒木村重の子として生まれ、母方の岩佐氏に養われる。福井藩主松平忠直・忠昌の御用画家となり、晩年幕府に招かれて江戸に下った。土佐派や狩野派の画風をあわせて一派をなし、和漢の古典的題材をよくするほか、風俗画にも新風を開いた。古来、浮世又兵衛と愛称。(1578〜1650)
⇒いわさ【岩佐】
いわ‐ざる【言わ猿】イハ‥
「三猿さんえん」参照。
いわし【鰯・鰮】
(弱シの転か)
①マイワシ・ウルメイワシ・カタクチイワシなどの総称。普通にはマイワシを指す。いずれもニシン科またはカタクチイワシ科の海産の硬骨魚で、水面近くを群泳。秋が旬とされ、目刺・干物・油漬などに加工、また鰯油をとり、肥料や飼料にも用いる。〈[季]秋〉。〈新撰字鏡9〉
マイワシ
提供:東京動物園協会
②鈍刀の異称。「赤―」
⇒いわし‐あみ【鰯網】
⇒いわし‐かす【鰯粕】
⇒いわし‐くじら【鰯鯨】
⇒いわし‐ぐも【鰯雲】
⇒いわし‐さん【鰯酸】
⇒鰯網で鯨
⇒鰯で精進落ち
⇒鰯の頭も信心から
いわし‐あみ【鰯網】
イワシを捕るのに用いる網。「―に鯨」
⇒いわし【鰯・鰮】




広辞苑 ページ 1512 での【○曰く言い難し】単語。