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宇津保物語 →宇津保物語🔗⭐🔉
宇津保物語 →宇津保物語
むかし、式部大輔(しきぶのたいふ)、左大弁かけて清原の王(おおぎみ)ありけり。御子腹(みこばら)に、ヲのこ子一人持(も)たり。その子、心のさときことかぎりなし。父母(ちちはは)「いとあやしき子なり。生(お)ひいでんやうを見む」とて、文(ふみ)も読ませず、いひ教ふる事もなくておほしたつるに、年(とし)にもあはず、丈(たけ)たかく心かしこし。七歳(ななとせ)になる年、父が高麗人(こまうど)にあふに、此七歳(ななとせ)なる子、父をもどきて、高麗人(こまうど)と文(ふみ)をつくりかはしければ、公(おおやけ)きこしめして「あやしうめづらしきことなり。いかで心みん」とおぼすほどに、十二歳にてかうぶりしつ。
帝(みかど)「ありがたき才(ざえ)なり。年(とし)のわかきほどに心みむ」とおぼして、唐土(もろこし)に三たびわたれる博士(はかせ)中臣の門人(かどひと)といふを召して、難(かた)き題をいださせて、心みさせ給フ。
広辞苑 ページ 23994 での【宇津保物語 →宇津保物語】単語。