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鎌倉三代記     →鎌倉三代記🔗🔉

鎌倉三代記     →鎌倉三代記  頃は建仁冬の空。雪の山するどなる。刃(やいば)を交(まじ)ゆる戦場の。名にし近江の。八(や)つの景(けい)。百万余騎(ぎ)に埋もれていつ果(はつ)べきとも見へざりしに。両家(りようけ)の確執(かくしつ)和順(わじゆん)なりしと触流(ふれなが)せば。両陣忽(たちまち)螺鐘(かいかね)納め一度にさっと引かへて。早(はや)太平の春霞。万歳(ばんぜい)とこそ祝(しゆく)しけれ。鎌倉の老臣古郡新左衛門俊宗。土肥(どひ)の弥五郎兼近。陣装束に小手腹巻従ふ兵卒三十余人。坂本城への使者の役馬場(ばんば)間近く出来(いでく)れば。御門(ごもん)の内より京都の近従(きんしん)三浦之助義村。浅上下(あさがみしも)さはやかに。供人僅(わずか)一両輩(はい)。黙礼もなく行過(ゆきすぐ)るを。新左衛門声をかけ。三浦殿には頼家公より。石山の御陣へ御使(つかい)候な。我々は時政(ときまさ)公より坂本への御使者。お互に御苦労ぞふと。挨拶すれば三浦の助。仰(おおせ)のごとく主人の使(つかい)。役(やく)中なれば無礼(ぶれい)は御免。罷(まかり)通ると行(ゆか)んとす。弥五郎引(ひき)とめ先(まず)待(また)れよ。無忽(ぶこつ)に存(ぞんず)る三浦殿。武士の礼義に式代(しきだい)もせず。扨(さて)は使の延引故(ゆえ)。遽(あわただし)き躰(てい)と見へた。具足も附(つけ)ず近比(ちかごろ)麁抹(そまつ)なお使者がら。不審(いぶかしゆう)存(ぞんす)ると。嘲(あざけ)る詞に宗尓(につこ)と笑ひ。……

広辞苑 ページ 24017 での鎌倉三代記     →鎌倉三代記単語。