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○足が重いあしがおもい🔗🔉

○足が重いあしがおもい ①足が疲れている。 ②そこへ出向くのがいやである。行きたくない。夏目漱石、三四郎「三四郎は急に足が重くなつた」 ⇒あし【足・脚】 あしかが足利】 栃木県南西部の市。足利氏発祥の地。中世末以来、絹織物の産地。現在は繊維工業のほか、機械・化学工業も発達。人口16万。 ⇒あしかが‐おり【足利織】 ⇒あしかが‐がっこう【足利学校】 ⇒あしかが‐ぞめ【足利染】 ⇒あしかが‐ぶんこ【足利文庫】 あしかが足利】 源義家の孫義康が、下野足利郡足利荘を本拠として称した氏。尊氏たかうじ以後、室町幕府将軍家。→室町幕府(表)。 足利(略系図) ⇒あしかが‐うじみつ【足利氏満】 ⇒あしかが‐しげうじ【足利成氏】 ⇒あしかが‐じだい【足利時代】 ⇒あしかが‐たかうじ【足利尊氏】 ⇒あしかが‐ただふゆ【足利直冬】 ⇒あしかが‐ただよし【足利直義】 ⇒あしかが‐ばくふ【足利幕府】 ⇒あしかが‐まさとも【足利政知】 ⇒あしかが‐もちうじ【足利持氏】 ⇒あしかが‐もとうじ【足利基氏】 ⇒あしかが‐よしあき【足利義昭】 ⇒あしかが‐よしあきら【足利義詮】 ⇒あしかが‐よしかず【足利義量】 ⇒あしかが‐よしかつ【足利義勝】 ⇒あしかが‐よしずみ【足利義澄】 ⇒あしかが‐よしたね【足利義稙】 ⇒あしかが‐よしてる【足利義輝】 ⇒あしかが‐よしのり【足利義教】 ⇒あしかが‐よしはる【足利義晴】 ⇒あしかが‐よしひさ【足利義尚】 ⇒あしかが‐よしひで【足利義栄】 ⇒あしかが‐よしまさ【足利義政】 ⇒あしかが‐よしみ【足利義視】 ⇒あしかが‐よしみつ【足利義満】 ⇒あしかが‐よしもち【足利義持】 あしかが‐うじみつ足利氏満‥ウヂ‥ 南北朝時代の武将。鎌倉公方。基氏の子。関東の平定につとめ、将軍義満にとって代わろうとの野心を抱いたが、関東管領上杉憲春の諫死かんしにより中止。(1359〜1398) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐おり足利織】 足利市付近で産する織物の総称。 ⇒あしかが【足利】 あしかが‐がっこう足利学校‥ガクカウ 中世の足利にあった高等教育機関。「坂東の大学」とも称せられ、儒書・仏書を講述。室町初期に栄え、一旦衰微。上杉憲実が儒書・領田を寄付し保護・統制。以後、戦国大名の保護を受けた。郷学校ごうがっこうとして1872年(明治5)まで存続。施設の一部は史跡として現存。 ⇒あしかが【足利】 あしかが‐しげうじ足利成氏‥ウヂ 室町中期の武将。持氏の子。結城合戦後許されて鎌倉公方となる。幕府・上杉氏と対立し、下総古河に移って古河公方と称し、堀越公方政知と対抗。(1438〜1497) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐じだい足利時代】 室町時代の別称。 ⇒あしかが【足利】 あしかが‐ぞめ足利染】 足利産の染絹。雨月物語2「雀部ささべの曾次といふ人、―の絹を交易するために」 ⇒あしかが【足利】 あしかが‐たかうじ足利尊氏‥ウヂ 室町幕府初代将軍(在職1338〜1358)。初め高氏。後醍醐天皇の諱いみな尊治の1字を賜って尊氏と称した。元弘の乱に六波羅を陥れて建武新政のきっかけをつくったが、のち叛いて光明天皇を擁立し、征夷大将軍となり、室町幕府を開いた。(1305〜1358) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐ただふゆ足利直冬】 南北朝時代の武将。尊氏の子。のち直義の養子となる。長門探題として下向の途中、高師直の命を受けた配下に襲われて肥後に落ちのび、勢力を蓄えて上京。いったん入京するが奪回され、以後中国地方を転々。生没年未詳。 ⇒あしかが【足利】 あしかが‐ただよし足利直義】 南北朝時代の武将。尊氏の弟。兄と共に建武政権に叛き、幕府を開いてその実権を握ったが、尊氏の執事高師直と争い、尊氏と不和を生じた。観応の擾乱じょうらんで武家方の分裂をひき起こし関東に下ったが、鎌倉で毒殺された。三条殿。錦小路殿。(1306〜1352) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐ばくふ足利幕府】 室町幕府の別称。 ⇒あしかが【足利】 あしかが‐ぶんこ足利文庫】 足利学校付属の文庫。中世の上杉家累代の寄進本などを所蔵し、現在、足利学校遺蹟図書館として存続。 ⇒あしかが【足利】 あしかが‐まさとも足利政知】 室町中期の武将。義教の子。成氏を抑えるため東下させられたが、伊豆にとどまり堀越公方と呼ばれた。(1435〜1491) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐もちうじ足利持氏‥ウヂ 室町前期の武将。鎌倉公方。満兼の子。上杉禅秀の乱を平定。のち将軍義教と対立、永享の乱を起こしたが、敗れて自刃。(1398〜1439) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐もとうじ足利基氏‥ウヂ 南北朝時代の武将。尊氏の第4子。1349年(貞和5)鎌倉に入り、初代の鎌倉公方となり関東を支配。(1340〜1367) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしあき足利義昭】 室町幕府第15代将軍(在職1568〜1573)。義晴の子。興福寺一乗院門跡となり覚慶。還俗して初め義秋。織田信長に擁立されて将軍となったが、のち不和を生じ、1573年(天正1)京都を追われる。諸国を流浪、豊臣秀吉に保護され、大坂に没。(1537〜1597) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしあきら足利義詮】 室町幕府第2代将軍(在職1358〜1367)。尊氏の子。(1330〜1367) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしかず足利義量】 室町幕府第5代将軍(在職1423〜1425)。義持の子。将軍となったが夭折。(1407〜1425) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしかつ足利義勝】 室町幕府第7代将軍(在職1442〜1443)。義教の子。8歳で将軍、翌年病死。(1434〜1443) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしずみ足利義澄】 室町幕府第11代将軍(在職1494〜1508)。政知の子。初め出家して清晃、のち細川政元に擁せられて還俗し、義遐よしとお・義高と改名。1508年(永正5)前将軍義稙に追われ、近江に没。(1480〜1511) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしたね足利義稙】 室町幕府第10代将軍(在職1490〜1493・1508〜1521)。義視の子。義政の養子。初め義材よしき・義尹よしただ。1490年(延徳2)将軍。93年(明応2)細川政元に廃され、1508年(永正5)再び将軍となる。21年(大永1)管領細川高国の乱によって淡路に逃れ、のち阿波に没。島公方。(1466〜1523) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしてる足利義輝】 室町幕府第13代将軍(在職1546〜1565)。義晴の子。初め義藤と称す。三好・松永氏に圧迫され、松永久秀らに攻められて殺された。(1536〜1565) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしのり足利義教】 室町幕府第6代将軍(在職1429〜1441)。義満の子。初め義円と称し、天台座主。兄義持の死後、還俗して将軍。権力強化につとめ、持氏の野心を抑えて鎌倉足利家を滅ぼしたが、嘉吉の乱で赤松満祐に殺された。(1394〜1441) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしはる足利義晴】 室町幕府第12代将軍(在職1521〜1546)。義澄の子。畿内の政情が不安定なため、しばしば京都を逃れ、1546年(天文15)将軍職を子義輝に譲る。(1511〜1550) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしひさ足利義尚】 室町幕府第9代将軍(在職1473〜1489)。のち義よしひろと称す。義政の子。母は日野富子。近江の六角(佐々木)高頼討伐の陣中に没。(1465〜1489) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしひで足利義栄】 室町幕府第14代将軍(在職1568〜1568)。義維よしつなの子。義澄の孫。阿波より摂津に入り、永禄11年(1568)2月将軍となったが、9月織田信長が義昭を奉じて入京して追われ、病没。(1538〜1568) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしまさ足利義政】 室町幕府第8代将軍(在職1449〜1473)。義教の子。初め義成よししげ。弟義視を養子としたが、義尚が生まれるに及んで義視を疎んじ、応仁の乱の因をつくる。慈照寺(銀閣)を建て、芸術を愛好・保護し、いわゆる東山文化を生んだ。東山殿。(1436〜1490) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしみ足利義視】 室町中期の武将。義教の子。僧となり義尋と称す。還俗して兄義政の嗣。義尚出生後廃され、東軍の細川勝元に擁せられて応仁の乱となったが、のち西軍に走る。今出川殿。(1439〜1491) ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしみつ足利義満】 室町幕府第3代将軍(在職1368〜1394)。義詮の子。南北朝内乱を統一し幕府の全盛期を築く。明みんに入貢、勘合貿易をひらく。北山に山荘を営み、金閣をつくる。法名、道有、のち道義。北山殿。(1358〜1408) →資料:『足利義満対明国書』[足利義満対明国書(原漢文)] ⇒あしかが【足利】 あしかが‐よしもち足利義持】 室町幕府第4代将軍(在職1394〜1423)。義満の長子。父義満に将軍職を譲られたが実権はなく、その死後自ら政務をとる。(1386〜1428) ⇒あしかが【足利】 あし‐がかり足掛り】 ①高い所へ昇るとき、足をふみかける所。足場。「―がない」 ②事に着手するいとぐち。拠点。「出世の―を作る」 あし‐がき葦垣】 葦でつくった垣。万葉集20「―の隈処くまとに立ちて」 ⇒あしがき‐の【葦垣の】 あしがき‐の葦垣の】 〔枕〕 「ふる(旧)」「みだる」「ほか」「まぢかし(間近し)」「吉野」(地名)にかかる。 ⇒あし‐がき【葦垣】 あし‐かけ足掛け】 ①足を踏みかけること。また、踏みかけるもの。足がかり。 ②年月日などを数える場合、前後の端数はすうをそれぞれ1として、おおよその数をいう語。「―5年」↔丸まる。 ③めかけ。てかけ。 ⇒あしかけ‐あがり【足掛け上がり】 あしかけ‐あがり足掛け上がり】 器械体操の一つ。片足を鉄棒にかけ、それを支えとして上方にあがること。 ⇒あし‐かけ【足掛け】 あじ‐かげん味加減アヂ‥ 味のよしあし。味のつけ具合。 あじがさわ鰺ヶ沢アヂ‥サハ 青森県西部、日本海に臨む港町。津軽藩の米の積出港として、中世に栄えた十三湊とさみなとに代わり繁栄。明治以降は陸上交通の発展に伴い衰退。 あし‐がし足枷・桎(→)「あしかせ」に同じ。〈新撰字鏡6あし‐かせ足枷】 (アシガセとも)2枚の厚板の端に足首大の半円孔を穿ち、罪人の足を前後から合わせはさんで、自由を束縛する刑具。転じて、足手まといになるもの。あしがし。「手かせ―」 あし‐かた屟・屐】 古代のはき物。木ぐつ。〈新撰字鏡3あし‐がた足形】 ふんだあとについた足の形。あしあと。 あし‐がた足型】 足袋・靴を製造するのに用いる、足の型。 あし‐がため足固め】 ①足を丈夫にするために歩きならすこと。足ならし。転じて、物事の準備また基礎をしっかりすること。 ②(「脚堅」とも書く)床下で、柱あるいは束つかにとりつける横木。 ③蹴鞠けまりの時に酒・湯漬などを出すこと。 ④柔道・レスリングの固め技の一つ。相手の脚部の関節または脚部を圧迫して相手の自由を奪う技。

広辞苑 ページ 312 での○足が重い単語。