複数辞典一括検索+

ほり‐かわ【堀川】‥カハ🔗🔉

ほり‐かわ堀川‥カハ ①京都市街の西部を北から南へ貫流する川、また通りの名。平安京の小路名。 堀川 撮影:的場 啓 ②浄瑠璃「近頃河原達引ちかごろかわらのたてひき」の通称。特に「堀川猿廻し」の場は、その中巻後半をいう。 ⇒ほりかわ‐いん【堀川院・堀河院】 ⇒ほりかわ‐がく【堀川学】 ⇒ほりかわ‐じゅく【堀川塾】

ほりかわ‐いん【堀川院・堀河院】‥カハヰン🔗🔉

ほりかわ‐いん堀川院・堀河院‥カハヰン 京都の堀川の東にあった藤原基経の邸。堀河殿。 ⇒ほり‐かわ【堀川】

ほりかわ‐がく【堀川学】‥カハ‥🔗🔉

ほりかわ‐がく堀川学‥カハ‥ 伊藤仁斎の唱えた古義学の別称。仁斎の邸宅が京都近衛(出水通)の南、堀川の東にあったからいう。 ⇒ほり‐かわ【堀川】

ほりかわ‐じゅく【堀川塾】‥カハ‥🔗🔉

ほりかわ‐じゅく堀川塾‥カハ‥ 伊藤仁斎が京都堀川に開いた私塾、古義堂の異称。堀川学校。 ⇒ほり‐かわ【堀川】

ほりかわ‐てんのう【堀河天皇】‥カハ‥ワウ🔗🔉

ほりかわ‐てんのう堀河天皇‥カハ‥ワウ 平安後期の天皇。白河天皇の第2皇子。名は善仁たるひと。父上皇が院政を開く。(在位1086〜1107)(1079〜1107)→天皇(表)

ほりかわなみのつづみ【堀川波鼓】‥カハ‥🔗🔉

ほりかわなみのつづみ堀川波鼓‥カハ‥ 浄瑠璃。近松門左衛門作の世話物。1707年(宝永4)初演。前年の鳥取藩士大蔵彦八郎(小倉彦九郎)が、妹くらと妻たねの妹ふうとの3人で、妻敵めがたき宮井伝右衛門を京都堀川で討った事件を脚色。 →文献資料[堀川波鼓]

ほりかわひゃくしゅ【堀河百首】‥カハ‥🔗🔉

ほりかわひゃくしゅ堀河百首‥カハ‥ 歌集。藤原公実きんざね・源国信くにざね・同俊頼ら堀河天皇側近歌人を中心に、大江匡房・藤原基俊ら計十余名が各自詠んだ百首歌の集成。1105年(長治2)以降成る。組題百首の嚆矢で、永久百首以下や中世和歌に大きな影響を与えた。堀河院御時百首和歌。堀河院初度百首。堀河院太郎百首。

広辞苑 ページ 18248