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よう‐めい【揚名】ヤウ‥🔗⭐🔉
よう‐めい【揚名】ヤウ‥
①名をあげること。
②(→)揚名介に同じ。
③名ばかりで実のないこと。虚名。空名。
⇒ようめい‐の‐すけ【揚名介】
よう‐めい【溶明】🔗⭐🔉
よう‐めい【溶明】
(→)フェード‐インに同じ。
ようめい‐がく【陽明学】ヤウ‥🔗⭐🔉
ようめい‐がく【陽明学】ヤウ‥
明の王陽明が唱えた儒学。初め朱子学の性即理説に対して心即理説、後に致良知説、晩年には無善無悪説を唱えた。朱子学が明代には形骸化したのを批判しつつ、明代の社会的現実に即応する理をうち立てようとして興り、やがて、経典の権威の相対化、欲望肯定的な理の索定などの新思潮が生まれた。日本では、中江藤樹・熊沢蕃山、また大塩平八郎(中斎)らに受け入れられた。王学。心学。
⇒ようめいがく‐は【陽明学派】
ようめいがく‐は【陽明学派】ヤウ‥🔗⭐🔉
ようめいがく‐は【陽明学派】ヤウ‥
陽明学を信奉する学者の総称。日本では学派としての系統はなさないが、中江藤樹・熊沢蕃山・三輪執斎・佐藤一斎・大塩中斎・佐久間象山・高井鴻山らが奉じた。
⇒ようめい‐がく【陽明学】
ようめい‐てんのう【用明天皇】‥ワウ🔗⭐🔉
ようめい‐てんのう【用明天皇】‥ワウ
記紀に記された6世紀末の天皇。欽明天皇の第4皇子。聖徳太子の父。皇后は穴穂部間人あなほべのはしひと皇女。名は橘豊日たちばなのとよひ。皇居は大和国磐余いわれの池辺双槻宮いけのべのなみつきのみや。在位中は蘇我馬子と物部守屋が激しく対立。(在位585〜587)( 〜587)→天皇(表)
ようめい‐の‐すけ【揚名介】ヤウ‥🔗⭐🔉
ようめい‐の‐すけ【揚名介】ヤウ‥
平安時代以後、名目だけで、職務も禄もない国司の次官。源氏物語夕顔「―なる人の家になむ侍りける」
⇒よう‐めい【揚名】
ようめい‐ぶんこ【陽明文庫】ヤウ‥🔗⭐🔉
ようめい‐ぶんこ【陽明文庫】ヤウ‥
(「陽明」は近衛家の別称)平安時代から明治時代に至る藤原家・近衛家の古文書や古典籍を収蔵する文庫。京都市右京区。
ようめい‐もん【陽明門】ヤウ‥🔗⭐🔉
ようめい‐もん【陽明門】ヤウ‥
①平安京大内裏の外郭十二門の一つ。待賢門の北方にあった。もと山門やまもんと称。近衛門。→大内裏(図)。
②日光東照宮の門。三間一戸の楼門で、入母屋造いりもやづくり。四方に唐破風からはふをつけて天井画・彫刻を施し、漆塗の上に極彩色・飾金具などをつけて精巧。日暮門ひぐらしのもん。
広辞苑 ページ 20215。