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あすか‐の‐いたぶき‐の‐みや【飛鳥板蓋宮】🔗🔉

あすか‐の‐いたぶき‐の‐みや飛鳥板蓋宮】 皇極・斉明天皇の皇居。奈良県高市郡明日香村岡の飛鳥浄御原宮あすかのきよみはらのみやと想定される宮跡(史跡「伝飛鳥板蓋宮跡」)の下層の遺構がそれに当たると考えられる。なお、舒明天皇の飛鳥岡本宮、斉明天皇の後のちの飛鳥岡本宮も同じ場所に営まれたらしい。 ⇒あすか【飛鳥・明日香】

あすか‐の‐おかもと‐の‐みや【飛鳥岡本宮】‥ヲカ‥🔗🔉

あすか‐の‐おかもと‐の‐みや飛鳥岡本宮‥ヲカ‥ 舒明・斉明天皇の皇居の一つ。→飛鳥板蓋宮⇒あすか【飛鳥・明日香】

あすか‐の‐かわら‐の‐みや【飛鳥川原宮】‥カハラ‥🔗🔉

あすか‐の‐かわら‐の‐みや飛鳥川原宮‥カハラ‥ 斉明天皇の皇居の一つ。伝承地は奈良県高市郡明日香村、川原寺付近という。 ⇒あすか【飛鳥・明日香】

あすか‐の‐きよみはら‐の‐みや【飛鳥浄御原宮】🔗🔉

あすか‐の‐きよみはら‐の‐みや飛鳥浄御原宮】 天武・持統天皇の皇居。672年天武天皇が造営して都とし、694年持統天皇は藤原宮に遷る。→飛鳥板蓋宮⇒あすか【飛鳥・明日香】

あすか‐ぶんか【飛鳥文化】‥クワ🔗🔉

あすか‐ぶんか飛鳥文化‥クワ 飛鳥時代の文化。7世紀前半の推古朝時代が中心。日本最初の仏教文化として北魏や六朝の文化的影響のもとに展開、法隆寺に代表される遺品を残す。 ⇒あすか【飛鳥・明日香】

あすかべ【飛鳥部】🔗🔉

あすかべ飛鳥部】 姓氏の一つ。 ⇒あすかべ‐の‐つねのり【飛鳥部常則】

あすかべ‐の‐つねのり【飛鳥部常則】🔗🔉

あすかべ‐の‐つねのり飛鳥部常則】 平安中期、村上天皇の宮廷の絵師。955年(天暦9)〜972年(天禄3)の事跡が文献に残り、遺作はないが屏風障子絵のほか経巻装飾や工芸品の意匠など多方面の技術にすぐれていたことが知られ、源氏物語にもその名が見える。生没年未詳。 ⇒あすかべ【飛鳥部】

広辞苑 ページ 355