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きよはら‐の‐きよひら【清原清衡】🔗🔉

きよはら‐の‐きよひら清原清衡】 (父藤原経清の死後、母が清原氏に再嫁したのでいう)藤原清衡ふじわらのきよひらの別名。 ⇒きよはら【清原】

きよはら‐の‐たけのり【清原武則】🔗🔉

きよはら‐の‐たけのり清原武則】 平安後期の豪族。出羽の俘囚の長。1062年(康平5)源頼義を助けて安倍貞任さだとうを滅ぼし、功により鎮守府将軍に任ぜられ、安倍氏の旧領を併せ、奥羽の雄となった。生没年未詳。 ⇒きよはら【清原】

きよはら‐の‐たけひら【清原武衡】🔗🔉

きよはら‐の‐たけひら清原武衡】 平安後期の豪族。武則の子。兄の子家衡を助けて金沢柵かねざわのきに拠り、源義家の大軍に囲まれ兵粮攻めにあい、柵は陥落し、捕殺。( 〜1087) ⇒きよはら【清原】

きよはら‐の‐としかげ【清原俊蔭】🔗🔉

きよはら‐の‐としかげ清原俊蔭】 宇津保物語中の人物。16歳で唐に使する途中、波斯国はしこくに漂着し、七仙人から琴きんの秘曲、天女から名琴を受ける。仲忠はその孫。 ⇒きよはら【清原】

きよはら‐の‐なつの【清原夏野】🔗🔉

きよはら‐の‐なつの清原夏野】 平安初期の貴族。天武天皇の皇子舎人親王とねりしんのうの曾孫。はじめ繁野と称す。左近衛大将・右大臣にのぼる。双岡ならびのおか大臣・比大臣ならびのおとどとも称。「令義解りょうのぎげ」を撰。(782〜837) ⇒きよはら【清原】

きよはら‐のぶかた【清原宣賢】🔗🔉

きよはら‐のぶかた清原宣賢】 戦国時代の儒学者。吉田兼倶かねともの子で、清原宗賢の養子。環翠軒と号。多数の抄物を作製。(1475〜1550) ⇒きよはら【清原】

きよはら‐の‐ふかやぶ【清原深養父】🔗🔉

きよはら‐の‐ふかやぶ清原深養父】 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。房則の子、元輔の祖父。内蔵大允。従五位下。家集「深養父集」。 ⇒きよはら【清原】

広辞苑 ページ 5289