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しま‐つ‐とり【島つ鳥】🔗🔉

しま‐つ‐とり島つ鳥】 (「島の鳥」の意) [一]〔名〕 鵜の異称。新勅撰和歌集「岩の上に波越す阿倍の―」 [二]〔枕〕 「鵜」にかかる。万葉集17「―鵜飼がともは」

しまづ‐なりあきら【島津斉彬】🔗🔉

しまづ‐なりあきら島津斉彬】 江戸末期の薩摩藩主。斉興なりおきの子。早くから開国の意見を抱き、殖産興業に力を入れ、藩営工場集成館を設立、洋式の造船・造兵・紡織などの業を興す。(1809〜1858)→お由良騒動。 島津斉彬 提供:毎日新聞社 ⇒しまづ【島津】 ○始末に負えないしまつにおえない どうにも処理できない。手に負えない。「夫婦喧嘩げんかばかりしていて―」 ⇒し‐まつ【始末】

しまづ‐ひさみつ【島津久光】🔗🔉

しまづ‐ひさみつ島津久光】 幕末・維新期の大名・政治家。幼名、三郎。薩摩藩主斉彬なりあきらの異母弟。兄の死後、藩主忠義の実父として藩政を掌握、公武の間に奔走・周旋し、維新後、左大臣に進んだが、欧化政策に反対、鹿児島に退隠。公爵。(1817〜1887)→生麦事件⇒しまづ【島津】

しまづ‐ひさもと【島津久基】🔗🔉

しまづ‐ひさもと島津久基】 国文学者。鹿児島県生れ。東大教授。源氏物語・中世小説などの研究に新境地をひらく。著「対訳源氏物語講話」「義経伝説と文学」など。(1891〜1949) ⇒しまづ【島津】

しまづ‐よしひさ【島津義久】🔗🔉

しまづ‐よしひさ島津義久】 安土桃山時代の武将。貴久たかひさの子。義弘の兄。肥前・筑前・豊後に侵攻したが、1587年(天正15)秀吉に降り、改めて薩摩に封ぜられた。(1533〜1611) ⇒しまづ【島津】

広辞苑 ページ 9025