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ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】チヤウ‥🔗⭐🔉
ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】チヤウ‥
姓氏の一つ。秦河勝はたのかわかつの子孫と伝える。平安末・鎌倉初め頃土佐国長岡郡宗部郷(高知県南国市)に移り、地名をとって姓としたという。
⇒ちょうそかべ‐し‐おきてがき【長宗我部氏掟書】
⇒ちょうそかべ‐もとちか【長宗我部元親】
⇒ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】
ちょうそかべ‐し‐おきてがき【長宗我部氏掟書】チヤウ‥🔗⭐🔉
ちょうそかべ‐し‐おきてがき【長宗我部氏掟書】チヤウ‥
土佐の長宗我部氏の分国法。1597年(慶長2)頃元親・盛親父子の制定。分国法中、最も新しく、完備する。長宗我部元親百箇条とも。
⇒ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】
ちょうそかべ‐もとちか【長宗我部元親】チヤウ‥🔗⭐🔉
ちょうそかべ‐もとちか【長宗我部元親】チヤウ‥
戦国時代の武将。土佐の大名。宮内少輔と称。国親の子。一条家を追放して土佐一国を支配、のち四国全体を統一したが、豊臣秀吉に降伏、土佐一国の領有を許される。秀吉の九州平定および文禄・慶長の役に出兵。長宗我部氏掟書を定めた。(1539〜1599)
⇒ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】
ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】チヤウ‥🔗⭐🔉
ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】チヤウ‥
安土桃山時代の武将。土佐守。元親の4男。1599年(慶長4)家督を継ぐが、関ヶ原の戦では西軍に属し、所領没収。大坂の陣で大坂に入城、戦後捕らえられて六条河原で処刑。(1575〜1615)
⇒ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】
広辞苑に「長宗我部」で始まるの検索結果 1-4。