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ふじわらのふゆつぐ【藤原冬嗣】🔗⭐🔉
ふじわらのふゆつぐ【藤原冬嗣】
(775-826) 平安初期の廷臣。通称,閑院左大臣。嵯峨天皇の信頼厚く,蔵人頭(くろうどのとう)・右大臣・左大臣を歴任,「弘仁格」「内裏式」を撰修。施薬院・勧学院を設置した。
ふじわらのまさつね【藤原雅経】🔗⭐🔉
ふじわらのまさつね【藤原雅経】
⇒飛鳥井雅経(あすかいまさつね)
ふじわらのみちかね【藤原道兼】🔗⭐🔉
ふじわらのみちかね【藤原道兼】
(961-995) 平安中期の廷臣。兼家の子。道長の兄。一条天皇を擁立する父に加担。兄道隆の死後関白に就任。7 日後に死去,七日関白と呼ばれた。
ふじわらのみちたか【藤原道隆】🔗⭐🔉
ふじわらのみちたか【藤原道隆】
(953-995) 平安中期の廷臣。兼家の子。道長の兄。別称,中関白。内大臣を経て,摂政・関白となる。死を前に子伊周(これちか)に地位を譲ろうとしたが,道長に奪われた。
ふじわらのみちつなのはは【藤原道綱母】🔗⭐🔉
ふじわらのみちつなのはは【藤原道綱母】
(936 頃-995) 平安中期の歌人。藤原兼家に嫁し,右大将道綱を生む。「拾遺和歌集」以下の勅撰集に 36 首入集。著「蜻蛉日記」
ふじわらのみちなが【藤原道長】🔗⭐🔉
ふじわらのみちなが【藤原道長】
(966-1027) 平安中期の廷臣。摂政。兼家の子。法名,行観・行覚。通称は御堂関白。娘 3 人(彰子・妍子・威子)を立后させて 3 代の天皇の外戚となり摂政として政権を独占,藤原氏の全盛時代を現出した。1019 年出家,法成寺を建立。日記「御堂関白記」がある。
ふじわらのみちのり【藤原通憲】🔗⭐🔉
ふじわらのみちのり【藤原通憲】
(1106?-1159) 平安末期の廷臣・学者。少納言。出家して信西(しんぜい)と称した。後白河天皇の側近として活躍,平治の乱で藤原信頼らに殺された。著「本朝世紀」「法曹類林」ほか。
ふじわらのむちまろ【藤原武智麻呂】🔗⭐🔉
ふじわらのむちまろ【藤原武智麻呂】
(680-737) 奈良初期の廷臣。不比等の子。南家の祖。
ふじわらのもとつね【藤原基経】🔗⭐🔉
ふじわらのもとつね【藤原基経】
(836-891) 平安前期の廷臣。通称,堀河太政大臣。諡号(しごう)昭宣公。叔父良房の養子となって宗家を継ぎ,陽成天皇の摂政。のち光孝天皇をたて,天皇死後,宇多天皇を擁して最初の関白となった。「文徳実録」を撰修。
新辞林 ページ 7026。