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たいら-の-かげきよ タヒラ― 【平景清】🔗🔉

たいら-の-かげきよ タヒラ― 【平景清】 (?-1196) 平安末期の武将。忠清の子。俗称,悪七兵衛。平維盛(コレモリ)らに従って源義仲・行家らと戦い,のち一門と西走,屋島の戦いにおける錏(シコロ)引きで勇名をはせた。平氏滅亡後,源頼朝に降り,八田知家に預けられ断食して死んだという。謡曲・歌舞伎に脚色される。

たいら-の-かねもり タヒラ― 【平兼盛】🔗🔉

たいら-の-かねもり タヒラ― 【平兼盛】 (?-990) 平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。光孝天皇の玄孫。駿河守。後撰集時代有数の歌人。「天徳四年内裏歌合」の詠者。家集に「兼盛集」がある。

たいら-の-きよもり タヒラ― 【平清盛】🔗🔉

たいら-の-きよもり タヒラ― 【平清盛】 (1118-1181) 平安末期の武将。忠盛の長男。通称,平相国。法号,浄海。白河法皇の落胤とも伝えられる。父の地位と遺産を受け継いで政界に進出。保元・平治の乱により対立勢力を一掃,従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ,官職を一門で独占,知行三十余国に及ぶ平氏政権を樹立した。他方,地方武士に離反され,源頼朝ら反平氏勢力が挙兵,福原に遷都したが熱病のため没した。

たいら-の-くにか タヒラ― 【平国香】🔗🔉

たいら-の-くにか タヒラ― 【平国香】 (?-935) 平安中期の武将。高望王の子。常陸大掾鎮守府将軍に任ぜられ,東国に土着。甥(オイ)の将門(マサカド)と争い,これに殺された。

たいら-の-これひら タヒラ― 【平維衡】🔗🔉

たいら-の-これひら タヒラ― 【平維衡】 平安中期の武将。貞盛の子。惟衡とも。伊勢平氏の祖。藤原保昌・平致頼(ムネヨリ)・源頼信と並んで四天王と称された。のち伊勢守。その流れを伊勢平氏という。生没年未詳。

たいら-の-これもち タヒラ― 【平維茂】🔗🔉

たいら-の-これもち タヒラ― 【平維茂】 平安中期の武将。貞盛の一五男として養子になったので,世に余五将軍と称され,また鎮守府将軍と自称。東国の豪族藤原諸任と戦った。生没年未詳。

たいら-の-これもり タヒラ― 【平維盛】🔗🔉

たいら-の-これもり タヒラ― 【平維盛】 (1158-1184?) 平安末期の武将。重盛の長子。小松中将・桜梅少将とも。源頼朝と富士川で対陣し,水鳥の羽音に驚いて敗走。また,義仲追討に赴いたが,倶利伽羅(クリカラ)峠で大敗した。のち滝口入道のもとで出家。那智で入水した。

大辞林 ページ 148608