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ふしみ【伏見】🔗⭐🔉
ふしみ 【伏見】
京都市南端の区。平安時代以後,貴族の別荘地として好まれた。秀吉の伏見城築城後は城下町として繁栄。江戸時代は淀川水運の要地。灘と並ぶ清酒の産地。((歌枕))「今よりは―の里の名をもたのまじ/後拾遺(雑五)」
ふしみ-いなり-たいしゃ【伏見稲荷大社】🔗⭐🔉
ふしみ-いなり-たいしゃ 【伏見稲荷大社】
⇒稲荷神社(イナリジンジヤ)
ふしみ-かいどう【伏見街道】🔗⭐🔉
ふしみ-かいどう ―ダウ 【伏見街道】
京と伏見を結ぶ道。街道筋には東福寺・伏見稲荷の門前町が発達。
ふしみ-じょう【伏見城】🔗⭐🔉
ふしみ-じょう ―ジヤウ 【伏見城】
京都市伏見区にある城。1592年豊臣秀吉が指月(シゲツ)山に着工。96年,地震により崩壊。翌年,木幡山(現在の明治天皇陵)に築城して居城とする。秀吉の死後,徳川家康が預り政務をとるが,1600年,関ヶ原役に,家康の留守中西軍の攻撃をうけ落城。のち再び徳川氏の支配下に置かれ,1620年廃城。建物は二条城・大徳寺などに移され,多く現存。現在復興天守がある。桃山城。
ふしみ-にんぎょう【伏見人形】🔗⭐🔉
ふしみ-にんぎょう ―ギヤウ [4] 【伏見人形】
伏見で作られる土製の人形。桃山期より作られ,形・色とも素朴な味わいがある。伏見雛(ビナ)。
ふしみ-ばん【伏見版】🔗⭐🔉
ふしみ-ばん [0] 【伏見版】
徳川家康が足利学校の分校である京都伏見の円光寺の僧三要らに命じて1599年から1606年までの間に木活字で印刷させた書物。「孔子家語」「貞観政要」「周易」「吾妻鑑」などがある。円光寺版。
ふしみ-びな【伏見雛】🔗⭐🔉
ふしみ-びな [4] 【伏見雛】
「伏見人形(フシミニンギヨウ)」に同じ。
ふしみ-ぶぎょう【伏見奉行】🔗⭐🔉
ふしみ-ぶぎょう ―ギヤウ [4] 【伏見奉行】
江戸幕府の職名。1600年京都伏見に設置。老中の下に属し,伏見の町政,木津川の船舶の取り締まりのほか,京都町奉行とともに近江・丹波両国の行政・訴訟をもつかさどった。
ふしみ-ぶね【伏見船】🔗⭐🔉
ふしみ-ぶね [4] 【伏見船】
江戸時代,伏見を本拠として淀川を上下し貨客輸送にあたった船。1698年一五石積み二〇〇艘が許可され,伏見奉行の管理下におかれて営業した。
ふしみ-ももやま-りょう【伏見桃山陵】🔗⭐🔉
ふしみ-ももやま-りょう 【伏見桃山陵】
明治天皇の陵。京都市伏見区桃山町にある。上円下方墳。
ふしみ-てんのう【伏見天皇】🔗⭐🔉
ふしみ-てんのう ―テンワウ 【伏見天皇】
(1265-1317) 第九二代天皇(在位 1287-1298)。名は煕仁(ヒロヒト)。持明院統の後深草天皇の第二皇子。大覚寺統の後宇多天皇の譲位を受け,両統交互に皇位につく例をつくった。
ふしみ-の-みや【伏見宮】🔗⭐🔉
ふしみ-の-みや 【伏見宮】
南北朝時代以来の旧宮家。四親王家の一。北朝第三代崇光天皇の第一皇子栄仁(ヨシヒト)親王を初祖とする。四親王中最も歴史が古い。明治以後一一の宮家を分家した。1947年(昭和22)皇籍離脱。
大辞林に「伏見」で始まるの検索結果 1-12。