複数辞典一括検索+![]()
![]()
ふしみ【伏見】🔗⭐🔉
ふしみ【伏見】
京都市の南部の区。もと豊臣秀吉がつくった城下町。酒造業が盛ん。
⇒ふしみいなり‐たいしゃ【伏見稲荷大社】
⇒ふしみ‐さんずん【伏見三寸】
⇒ふしみ‐じょう【伏見城】
⇒ふしみ‐にんぎょう【伏見人形】
⇒ふしみ‐の‐いなり【伏見の稲荷】
⇒ふしみ‐ばん【伏見版】
⇒ふしみ‐びな【伏見雛】
⇒ふしみ‐ぶぎょう【伏見奉行】
⇒ふしみ‐ぶね【伏見船】
⇒ふしみ‐ももやま‐りょう【伏見桃山陵】
⇒ふしみ‐やき【伏見焼】
ふしみ‐さんずん【伏見三寸】🔗⭐🔉
ふしみ‐さんずん【伏見三寸】
衣類を入れる小形のつづら。江戸時代の庶民の嫁入道具の一つ。伏見でつくられた。好色五人女2「―のつづら一荷」
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐じょう【伏見城】‥ジヤウ🔗⭐🔉
ふしみ‐じょう【伏見城】‥ジヤウ
京都市伏見区東伏見山に豊臣秀吉が1592年(文禄1)から築いた城。96年地震で倒壊、木幡山に移して再建。京都の関門を占めた。後に江戸幕府が廃棄、その遺構は大徳寺・西本願寺・豊国神社などに移されて現存。
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐てんのう【伏見天皇】‥ワウ🔗⭐🔉
ふしみ‐てんのう【伏見天皇】‥ワウ
鎌倉後期の天皇。後深草天皇の第2皇子。名は
仁ひろひと。持明院じみょういん殿とも称す。譲位後、院政。日記「伏見院宸記」。(在位1287〜1298)(1265〜1317)→天皇(表)
仁ひろひと。持明院じみょういん殿とも称す。譲位後、院政。日記「伏見院宸記」。(在位1287〜1298)(1265〜1317)→天皇(表)
ふしみ‐にんぎょう【伏見人形】‥ギヤウ🔗⭐🔉
ふしみ‐にんぎょう【伏見人形】‥ギヤウ
安土桃山時代頃より京都伏見で作られる、形・彩色の素朴な土製の人形。稲荷人形。伏見雛。
伏見人形(1)
撮影:薗部 澄(JCII蔵)
伏見人形(2)
撮影:薗部 澄(JCII蔵)
伏見人形(3)
撮影:薗部 澄(JCII蔵)
⇒ふしみ【伏見】
伏見人形(2)
撮影:薗部 澄(JCII蔵)
伏見人形(3)
撮影:薗部 澄(JCII蔵)
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐の‐いなり【伏見の稲荷】🔗⭐🔉
ふしみ‐の‐いなり【伏見の稲荷】
京都市伏見区にある稲荷神社の俗称。
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐の‐みや【伏見宮】🔗⭐🔉
ふしみ‐の‐みや【伏見宮】
四親王家の一つ。北朝崇光天皇の第1皇子栄仁よしひと親王を祖とし、諸宮家中もっとも重きをなした。明治以後、梨本・山階やましな・久邇くになど多くの宮家がこれから派生。
ふしみ‐ばん【伏見版】🔗⭐🔉
ふしみ‐ばん【伏見版】
徳川家康の命により1599〜1606年(慶長4〜11)京都伏見の円光寺の三要らが木活字を用いて出版した書籍の称。「孔子家語」「六韜」「三略」「貞観政要」などがある。円光寺版。
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐びな【伏見雛】🔗⭐🔉
ふしみ‐ぶぎょう【伏見奉行】‥ギヤウ🔗⭐🔉
ふしみ‐ぶぎょう【伏見奉行】‥ギヤウ
江戸幕府の職名。遠国おんごく奉行の一つ。老中の支配に属し、伏見にいて、その地の民政、木津川の船舶を管理。伏見廃城前は近江・丹波の幕府直轄地の民政を行い、訴訟を裁断した。
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐ぶね【伏見船】🔗⭐🔉
ふしみ‐ぶね【伏見船】
江戸時代、伏見から淀川筋を大坂辺まで往復した15石積みの貨客船。
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐ももやま‐りょう【伏見桃山陵】🔗⭐🔉
ふしみ‐ももやま‐りょう【伏見桃山陵】
明治天皇の皇陵。京都市伏見区桃山町古城山にある。上円下方墳で、砂礫で葺ふく。隣に昭憲皇太后の伏見桃山東陵がある。
⇒ふしみ【伏見】
ふしみ‐やき【伏見焼】🔗⭐🔉
広辞苑に「伏見」で始まるの検索結果 1-14。