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さが【嵯峨】🔗🔉

さが【嵯峨】 京都市右京区の嵐山から御室(おむろ)付近の地名。清涼寺・大覚寺・天竜寺などがある。

さ‐が【×嵯×峨・△険】🔗🔉

さ‐が【××峨・険】 [ト・タル][形動タリ]山などの高く険しいさま。「―たる孤峰」

さが‐ぎれ【×嵯×峨切】🔗🔉

さが‐ぎれ【××峨切】 名物切の一。金襴(きんらん)で、もと嵯峨の清涼寺の戸帳に用いられていたため、この名で呼ばれたという。藍色地に桐(きり)・唐草文のものと、緋色地で雲に宝尽くしのものとがある。

さが‐げんじ【嵯峨源氏】🔗🔉

さが‐げんじ【嵯峨源氏】 嵯峨天皇の皇子で源(みなもと)の姓を賜って臣籍に下った者。肥前の松浦(まつら)氏はその流れと称する。

さが‐ごしょ【嵯峨御所】🔗🔉

さが‐ごしょ【嵯峨御所】 大覚寺の通称。

さが‐ごりゅう【×嵯×峨御流】‐ゴリウ🔗🔉

さが‐ごりゅう【××峨御流】‐ゴリウ 生け花の流派の一。嵯峨流に荘厳華と呼ぶ儀式花を加えたもの。家元はなく、大覚寺門跡が総裁を務める。→嵯峨流

さが‐てんのう【嵯峨天皇】‐テンワウ🔗🔉

さが‐てんのう【嵯峨天皇】‐テンワウ七八六〜八四二]第五二代天皇。在位八〇九〜二三。桓武天皇の皇子。名は神野(かみの)。「弘仁格式」「新撰姓氏録(しようじろく)」などを編纂(へんさん)させ、蔵人所(くろうどどころ)・検非違使(けびいし)などを設けて律令制の補強を行った。また、能筆で知られ、三筆の一人。

さがにっき【嵯峨日記】🔗🔉

さがにっき【嵯峨日記】 松尾芭蕉の日記。一巻。宝暦三年(一七五三)刊。元禄四年(一六九一)四月一八日から五月四日まで京都嵯峨の去来の落柿舎(らくししや)に滞在した間の句文を収録。

さが‐にんぎょう【×嵯×峨人形】‐ニンギヤウ🔗🔉

さが‐にんぎょう【××峨人形】‐ニンギヤウ 京都嵯峨で作られた木彫りの人形。極彩色に金銀を施したもので、大黒・布袋(ほてい)・恵比須・唐子(からこ)などが多い。江戸でも今様の風俗物が作られ、江戸嵯峨の名が生まれた。

さが‐の【嵯峨野】🔗🔉

さが‐の【嵯峨野】 京都市右京区嵯峨付近の呼称。《歌枕》「さびしさは秋の―の野辺の露月にあととふ千代の古道」〈後鳥羽院御集〉

さが‐の‐しゃか【嵯峨の釈迦】🔗🔉

さが‐の‐しゃか【嵯峨の釈迦】 京都市嵯峨にある清涼寺の本尊、釈迦如来立像のこと。宋から(ちようねん)が持ち帰った、三国伝来と伝える木彫仏。

さが‐の‐だいねんぶつ【×嵯×峨の大念仏】🔗🔉

さが‐の‐だいねんぶつ【××峨の大念仏】 京都市嵯峨の清涼寺(釈迦堂)で、陰暦三月六日から一五日までの一〇日間、人々が集まって念仏を唱えた行事。太鼓などを鳴らして「ははみた」と唱え、念仏後は仮面をかぶって町を歩く。弘安二年(一二七九)に円覚が始めたという。嵯峨念仏。大念仏。《季 春》

さがのや‐おむろ【嵯峨の屋お室】🔗🔉

さがのや‐おむろ【嵯峨の屋お室】一八六三〜一九四七]小説家・詩人。江戸の生まれ。本名、矢崎鎮四郎。坪内逍遥の門下。小説「初恋」「くされ玉子」などのほか、ロシア文学の翻訳も発表。

さが‐ぼん【×嵯×峨本】🔗🔉

さが‐ぼん【××峨本】 慶長・元和(一五九六〜一六二四)にかけて、京都の嵯峨で本阿弥光悦・角倉素庵(すみのくらそあん)らが刊行した版本。主に木活字を用い、用紙・装丁に豪華な意匠を施した美本で、「伊勢物語」「観世流謡本」など一三点が現存する。光悦本。角倉本。

さが‐まるた【×嵯×峨丸太】🔗🔉

さが‐まるた【××峨丸太】 丹波地方に産し、大堰川(おおいがわ)にいかだを組んで流し出す丸太。嵯峨で陸揚げする。

さが‐やき【×嵯×峨焼】🔗🔉

さが‐やき【××峨焼】 江戸末期、京都の嵯峨地方から産出した陶器。

さが‐よう【×嵯×峨様】‐ヤウ🔗🔉

さが‐よう【××峨様】‐ヤウ 和様書道の一派、嵯峨流の書風。

さが‐りゅう【×嵯×峨流】‐リウ🔗🔉

さが‐りゅう【××峨流】‐リウ 築庭の一派。夢窓疎石が祖とされ、天竜寺の庭を範とする。浄土宗の一派。西山派に属し、浄金剛院(じようこんごういん)の開山、道観を祖とする。現在は途絶。和様書道の流派の一。京都嵯峨の人、角倉素庵(すみのくらそあん)が本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の書風を継いで始めたもの。角倉流。与一流。生け花の流派の一。開祖は嵯峨天皇と伝え、京都嵯峨の大覚寺を本拠とする。

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