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きねや‐じょうかん【稀音家浄観】‥ジヤウクワン🔗🔉

きねや‐じょうかん稀音家浄観‥ジヤウクワン 長唄三味線方。(2世)初世(1839〜1917)の子。本名、杉本金太郎。前名、3世杵屋六四郎。東京音楽学校教授。4世吉住小三郎と長唄研精会を創設、演奏会形式の長唄の発展に貢献。「横笛」「熊野ゆや」などを作曲。文化勲章。(1874〜1956) 稀音家浄観 撮影:田沼武能 ⇒きねや【稀音家】

きねや‐しょうじろう【杵屋正次郎】‥シヤウ‥ラウ🔗🔉

きねや‐しょうじろう杵屋正次郎‥シヤウ‥ラウ 長唄三味線方。(3世)幕末から明治にかけて活躍。「連獅子」「元禄花見踊」「鏡獅子」などを作曲。(1827〜1896) ⇒きねや【杵屋】

きねや‐せいほう【杵屋正邦】‥ハウ🔗🔉

きねや‐せいほう杵屋正邦‥ハウ 長唄三味線方出身の作曲家。本名、吉川博久。1200曲以上を作曲。演奏指導者として現代邦楽の発展に寄与。作「綺羅」「風動」「去来」「野鳥三態」など。(1914〜1996) ⇒きねや【杵屋】

きねや‐ろくざえもん【杵屋六左衛門】‥ヱ‥🔗🔉

きねや‐ろくざえもん杵屋六左衛門‥ヱ‥ 長唄三味線方(14代は唄方)。杵屋の宗家。 ①(別家9代)前名、3世六三郎。植木店うえきだなに住む。「越後獅子」「小原女」などを作曲。( 〜1819) ②(別家10代)9代の子。4世杵屋六三郎とともに長唄中興の祖。「賤機帯」「石橋」「供奴」「秋の色種」などを作曲。(1800〜1858) ③(11代)3世杵屋勘五郎の前名。 ④(14代)13代(1870〜1940)の子。前名、喜三郎。4世吉住小三郎に師事。東京音楽学校教授。(1900〜1981) ⇒きねや【杵屋】

きねや‐ろくさぶろう【杵屋六三郎】‥ラウ🔗🔉

きねや‐ろくさぶろう杵屋六三郎‥ラウ 長唄三味線方。(4世)前名、長次郎。のち六翁と改名。「勧進帳」「晒女さらしめ」「吾妻八景」「老松」「松の緑」などを作曲。(1779〜1855) ⇒きねや【杵屋】

広辞苑 ページ 4901