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いま‐いま【今今】🔗🔉

いま‐いま今今】 「いま」を強めていう語。 ①いま。現在。大鏡道長「―もさこそは侍るべかんめれ」 ②今か今か。待ち望む気持、また、恐れあやぶむ気持を表す。古今和歌集哀傷「にはかに病をして―となりにければ」 ③なりたてのもの。新参。狂言、鬼瓦「―の細工人では覚束ない」

○今が今いまがいま🔗🔉

○今が今いまがいま つい今しがた。たった今。いまのいま。 ⇒いま【今】

○今か今かといまかいまかと🔗🔉

○今か今かといまかいまかと 物事・状態が、すぐにも現れるかとあせって待つさまにいう。 ⇒いま【今】 いまかがみ今鏡】 歴史物語。藤原為経(寂超)の著。10巻。1170年成るか。「大鏡」の後をうけて、1025〜1170年(万寿2〜嘉応2)、後一条天皇から高倉天皇まで13代146年間の本紀・列伝・拾遺を老女の話す体にした書。続世継。小鏡。つくも髪の物語。 いま‐がた今方】 いま少し前。今しがた。 いまがわ今川‥ガハ 姓氏の一つ。足利氏の支族。三河国幡豆はず郡の今川を氏とし、遠江・駿河の守護大名、のち戦国大名。→足利(系図)⇒いまがわ‐かなもくろく【今川仮名目録】 ⇒いまがわ‐じょう【今川状】 ⇒いまがわ‐のりくに【今川範国】 ⇒いまがわ‐よしもと【今川義元】 ⇒いまがわ‐りょうしゅん【今川了俊】 いまがわ‐かなもくろく今川仮名目録‥ガハ‥ 戦国大名今川氏親(1473〜1526)が制定した分国法33カ条。1526年(大永6)成る。53年(天文22)その子義元が21カ条を追加。 →文献資料[今川仮名目録] ⇒いまがわ【今川】 いまがわ‐じょう今川状‥ガハジヤウ 今川了俊が弟仲秋に書き与えた制詞家訓。23カ条。手習塾の教科書の一つとして盛んに用いられた。今川壁書。→女今川⇒いまがわ【今川】 いまがわ‐のりくに今川範国‥ガハ‥ 南北朝時代の武将。足利尊氏に信任され、駿河・遠江守護、また幕府の引付頭人となる。和歌を学び故実に精通。( 〜1384) ⇒いまがわ【今川】 いまがわ‐やき今川焼‥ガハ‥ 銅板に銅の輪型をのせ、水で溶いた小麦粉を注ぎ、中に餡あんを入れて焼いた菓子。江戸神田今川橋辺の店で製し始めた。今は輪の代りに多数の円形のくぼみをもつ銅の焼型を用いる。幸田露伴、天うつ浪「―の皮の厚い冷いのでも」 今川焼 撮影:関戸 勇 いまがわ‐よしもと今川義元‥ガハ‥ 戦国時代の武将。氏親の子。駿河・遠江・三河地方に勢力を振るう。織田信長と戦って桶狭間おけはざまに討死。(1519〜1560) ⇒いまがわ【今川】 いまがわ‐りょうしゅん今川了俊‥ガハレウ‥ 室町前期の武将・歌学者。範国の子。名は貞世さだよ。剃髪して了俊。足利義詮・義満に仕えて遠江守護・九州探題となる。また、冷泉為秀に師事し、歌学に堪能。著「難太平記」「二言抄」「落書露顕」「言塵集」など。(1326〜1414頃) →文献資料[難太平記] ⇒いまがわ【今川】 い‐まき今木・湯巻】 ユマキの転。 いま‐き今来】 新たに渡来したこと。また、その人。新参。雄略紀「百済の貢たてまつれる、―の才伎てひといま‐きさき今后】 すでに后の位にある人に対して、新たにその位についた后。源氏物語「―は心やましうおぼすにや」 いまき‐の‐かみ今木神】 京都の平野神社の祭神四座の一つ。伴信友の「蕃神考」以来、吉田東伍・内藤湖南に説があり、「今木」は「今来」で新来の意、桓武天皇の外戚の祖神たる朝鮮の神を祀るとされる。 いまぎれ今切】 静岡県西部、浜名湖が海に続く湖口。1498年(明応7)大地震で砂州が切れて海とつながる。江戸時代に渡船が通い、今切の渡または荒井の渡といった。関所があり、特に女人の往来を取り調べた。→新居あらいの関 いま‐ぐまの今熊野】 京都市東山区にある神社。祭神は熊野権現。 今熊野(新熊野神社) 撮影:的場 啓

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