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よしだ【吉田】(地名)🔗🔉

よしだ吉田】 東海道五十三次の宿場。もと吉田藩7万石の城下町。1869年(明治2)豊橋と改称。浄瑠璃、伊賀越道中双六「道中筋は参州の―で逢たと人の噂」

よしだ‐いそや【吉田五十八】🔗🔉

よしだ‐いそや吉田五十八】 建築家。東京生れ。東京芸大教授。数寄屋建築に独自の様式をみせる。代表作に歌舞伎座・日本芸術院会館・吉田茂邸などがある。文化勲章。(1894〜1974) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐えいざ【吉田栄三】🔗🔉

よしだ‐えいざ吉田栄三】 (初代)人形遣い。本名、柳本栄次郎。大阪生れ。1883年(明治16)12歳で初舞台を踏み、98年文楽座へ移り、1927年人形の座頭ざがしらとなる。立役たちやく遣いの名人。(1872〜1945) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐おいかぜ【吉田追風】‥オヒ‥🔗🔉

よしだ‐おいかぜ吉田追風‥オヒ‥ 相撲故実の家元。元禄(1688〜1704)時代、京都の勧進相撲で行司をつとめる。1791年(寛政3)の上覧相撲以後、相撲司家と称して代々相撲界を支配。1951年大日本相撲協会に横綱任命権を移譲するまで横綱免許を独占。 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐かねとも【吉田兼倶】🔗🔉

よしだ‐かねとも吉田兼倶】 室町後期の神道家。吉田神道の創唱者。本姓、卜部うらべ。吉田神社の祠官。足利義政の夫人日野富子に接近、洛東神楽岡に斎いつき場所・八神殿を設けて神祇長上と称し、宗源宣旨によって全国の神職をその支配下に置こうとした。著「唯一神道名法要集」など。(1435〜1511) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐けんいち【吉田健一】🔗🔉

よしだ‐けんいち吉田健一】 評論家・小説家。東京生れ。茂の長男。ケンブリッジ大中退。表現の重要性を唱えて日本近代文学を批判。評論「ヨオロツパの世紀末」、小説「瓦礫の中」など。(1912〜1977) 吉田健一 撮影:田沼武能 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐けんこう【吉田兼好】‥カウ🔗🔉

よしだ‐けんこう吉田兼好‥カウ ⇒けんこう(兼好)⇒よしだ【吉田】

よしだ‐げんじろう【吉田絃二郎】‥ラウ🔗🔉

よしだ‐げんじろう吉田絃二郎‥ラウ 小説家・劇作家・随筆家。本名、源次郎。佐賀県生れ。早大卒。作「島の秋」「清作の妻」「小鳥の来る日」など。(1886〜1956) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐さだふさ【吉田定房】🔗🔉

よしだ‐さだふさ吉田定房】 南北朝時代の公家。後醍醐天皇の討幕の議に参画したが情報を鎌倉幕府に通じた。しかし建武政権にはまた登用されて内大臣・民部卿。足利尊氏の叛後、一時京都にとどまったらしいが、やがて吉野に走る。日記「吉槐記」。(1274〜1338) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐しげる【吉田茂】🔗🔉

よしだ‐しげる吉田茂】 外交官・政治家。東京生れ。東大卒。奉天総領事・外務次官・駐英大使などを歴任。第二次大戦後、外相。1946年日本自由党総裁、次いで首相。48〜54年連続して首相となり、戦後政治の基本路線を定め、親米政策を推進。51年サン‐フランシスコ講和条約に調印。(1878〜1967) 吉田茂 撮影:石井幸之助 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐しょういん【吉田松陰】🔗🔉

よしだ‐しょういん吉田松陰】 幕末の志士。長州藩士。杉百合之助の次男。名は矩方のりかた、字は義卿、通称、寅次郎。別号、二十一回猛士。兵学に通じ、江戸に出て佐久間象山に洋学を学んだ。常に海外事情に注意し、1854年(安政1)米艦渡来の際に下田で密航を企てて投獄。のち萩の松下村塾しょうかそんじゅくで幕末・明治期の指導者を教育。安政の大獄に連座し、江戸で刑死。著「西遊日記」「講孟余話」「留魂録」など。(1830〜1859) →著作:『講孟余話』 →著作:『吉田松陰書簡』 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐じんじゃ【吉田神社】🔗🔉

よしだ‐じんじゃ吉田神社】 京都市左京区吉田神楽岡町にある元官幣中社。奈良の春日神社を藤原氏が勧請かんじょうしたもの。吉田神道の本拠地となり、大元宮が設けられた。二十二社の一つ。 吉田神社 撮影:的場 啓 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐しんとう【吉田神道】‥タウ🔗🔉

よしだ‐しんとう吉田神道‥タウ 神道の一派。室町後期に京都吉田神社の祠官吉田兼倶かねともが唱道、仏教・儒教・道教などを融合し、日本固有の神道を主張。天照大神あまてらすおおみかみ・天児屋根命あまのこやねのみことから直伝・相承した絶対的本質的な神道の意から、唯一宗源神道・唯一神道・元本宗源神道などともいう。卜部うらべ神道。 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐ちょう【吉田町】‥チヤウ🔗🔉

よしだ‐ちょう吉田町‥チヤウ 江戸本所の岡場所。夜鷹の巣窟としても知られた。

よしだ‐とうご【吉田東伍】🔗🔉

よしだ‐とうご吉田東伍】 歴史地理学者。越後生れ。筆名、落後生。独学で学者となり、早大教授。編著「大日本地名辞書」「倒叙日本史」「世阿弥十六部集」など。(1864〜1918) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐とうよう【吉田東洋】‥ヤウ🔗🔉

よしだ‐とうよう吉田東洋‥ヤウ 幕末の高知藩士。名は正秋。1853年(嘉永6)藩主山内豊信(容堂)に登用されて藩政改革を推進。一時蟄居。藩政復帰後は中堅家臣層から成る「新おこぜ組」を基盤に上士層の守旧派、下士層の勤王党と対立。城からの帰途、勤王党員に暗殺される。(1816〜1862) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐とみぞう【吉田富三】‥ザウ🔗🔉

よしだ‐とみぞう吉田富三‥ザウ 病理学者。福島県生れ。東北大・東大教授。癌研究会癌研究所所長。アゾ色素による実験的肝癌、吉田肉腫の発見など、癌研究に貢献。文化勲章。(1903〜1973) 吉田富三 撮影:石井幸之助 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐ならまる【吉田奈良丸】🔗🔉

よしだ‐ならまる吉田奈良丸】 (2代)浪曲家。本名、広橋宏吉。奈良県生れ。浪花節台頭期に活躍。優美な節調の「義士伝」で人気を得た。(1880〜1967) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐にくしゅ【吉田肉腫】🔗🔉

よしだ‐にくしゅ吉田肉腫】 吉田富三がシロネズミに発見した肉腫。腹水腫瘍の一種で、細胞が個々に遊離した状態で増殖し、他の個体に移植可能。腫瘍細胞の研究に広く利用。 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐はんべえ【吉田半兵衛】‥ヱ🔗🔉

よしだ‐はんべえ吉田半兵衛‥ヱ 江戸前期の浮世絵師。京都の人。貞享頃上方随一の挿絵・絵本画家として活躍。代表作に西鶴作の「好色一代女」「日本永代蔵」の挿絵など。( 〜1693頃) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐ぶんごろう【吉田文五郎】‥ラウ🔗🔉

よしだ‐ぶんごろう吉田文五郎‥ラウ (3代)人形遣い。本名、河村巳之助。大阪生れ。女形遣いの名人。1956年難波掾を受贈。著「文五郎芸談」。(1869〜1962) 吉田文五郎(1) 撮影:田村 茂 吉田文五郎(2) 撮影:石井幸之助 ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐ぶんざぶろう【吉田文三郎】‥ラウ🔗🔉

よしだ‐ぶんざぶろう吉田文三郎‥ラウ 人形遣い。 ①(初代)大坂生れ。三人遣いなど新しい技法の導入、演出の工夫などで、竹本座に全盛期をもたらした。作者名、吉田冠子。( 〜1760) ②(2代)大坂生れ。初代の子。1761年(宝暦11)襲名。江戸にも下り諸座で活動した。(1732〜1790) ⇒よしだ【吉田】

よしだ‐みつよし【吉田光由】🔗🔉

よしだ‐みつよし吉田光由】 江戸初期の和算家。山城嵯峨の人。「算法統宗」の文義を翻案して「塵劫記じんこうき」を著した。(1598〜1672)→塵劫記⇒よしだ【吉田】

よしだや【吉田屋】🔗🔉

よしだや吉田屋】 浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡ゆうぎりあわのなると」上の巻、吉田屋の段のこと。→廓文章くるわぶんしょう →文献資料[夕霧阿波鳴渡]

よしだ‐やま【吉田山】🔗🔉

よしだ‐やま吉田山】 京都市左京区南部の丘。西麓に京都大学・吉田神社がある。古くは神楽岡かぐらおかとも称した。標高103メートル。 吉田山 撮影:的場 啓

よしだ‐りゅう【吉田流】‥リウ🔗🔉

よしだ‐りゅう吉田流‥リウ 弓術の一派。室町後期、近江の吉田上野介重賢が日置へき正次に師事して一派を興したものという。分派が多い。 ⇒よしだ【吉田】

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