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広辞苑の検索結果 (6)

かん‐おん【桓温】クワンヲン🔗🔉

かん‐おん桓温クワンヲン 東晋の武将・政治家。字は元子。穆帝ぼくていの時、軍功を以て臨賀郡公に封ぜられ、後に大司馬となり、簡文帝を立てて帝位を狙ったが、野望を達せずに没。「男子芳を百世に流す能わずんば亦た当まさに臭を万年に遺すべし」の語は有名。(312〜373)

かん‐かん【桓寛】クワンクワン🔗🔉

かん‐かん桓寛クワンクワン 前漢の儒者。字は次公。河南汝南の人。宣帝・昭帝に仕え、賢良・文学の士と丞相・御史などの時務を論じ、また「塩鉄論」を編纂した。

かん‐こう【桓公】クワン‥🔗🔉

かん‐こう桓公クワン‥ 春秋時代、斉の15代の君主。春秋五覇の一人。姓は姜、名は小白。釐公の子、襄公の弟。鮑叔牙・管仲を用いて富国強兵策を行う。(在位前685〜前643)( 〜前643)

かんむ‐てんのう【桓武天皇】クワン‥ワウ🔗🔉

かんむ‐てんのう桓武天皇クワン‥ワウ 奈良後期〜平安初期の天皇。柏原天皇とも。光仁天皇の第1皇子。母は高野新笠。名は山部やまのべ。坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北に派遣、794年(延暦13)都を山城国宇太に遷した(平安京)。(在位781〜806)(737〜806)→天皇(表)

かんむ‐へいし【桓武平氏】クワン‥🔗🔉

かんむ‐へいし桓武平氏クワン‥ 桓武天皇の子孫で平たいら姓を賜った氏。葛原かずらわら親王の孫高望王に始まり、国香・将門・貞盛らが関東に威を振るった。→平たいら(系図)

[漢]桓🔗🔉

 字形 〔木部6画/10画/2028・343C〕 〔音〕カン〈クヮン〉(漢) [意味] ①宿場・役所などの所在を示すために立てた木。 ②貴人を埋葬する時に、ひつぎを墓の穴に下ろすため四すみに立てた柱。 ③おおきい。 ④木の名。むくろじ。

大辞林の検索結果 (5)

かん-おん【桓温】🔗🔉

かん-おん クワンヲン 【桓温】 (313-374) 東晋の武将・政治家。字(アザナ)は元子。成漢を滅ぼし征西大将軍・臨賀郡公となる。朝政を専断したが,北伐を敢行し前燕に敗れて失墜。簡文帝をたて,その死後自立をはかったが失敗し病死した。

かん-こう【桓公】🔗🔉

かん-こう クワン― 【桓公】 (?-前643) 中国,春秋時代の斉の君主。名は小白。鮑叔(ホウシユク)の推挙で管仲(カンチユウ)を用い,春秋時代最初の覇者となった。

かんざん【桓算・寛算】🔗🔉

かんざん クワンザン 【桓算・寛算】 平安時代の天台宗の僧。内供奉(ナイグブ)に任ぜられ,桓算供奉と称された。恨みから霊鬼となり朝家を悩ましたという。

かんむ-てんのう【桓武天皇】🔗🔉

かんむ-てんのう クワンムテンワウ 【桓武天皇】 (737-806) 第五〇代天皇(在位 781-806)。名は山部(ヤマノベ)。光仁天皇の皇子。794年,都を平安京に遷した。在位中は坂上田村麻呂を征夷大将軍として東北地方に派遣するなど,朝廷権力を大きく伸長した。陵墓は山城国紀伊郡柏原にあり,柏原天皇とも呼ばれる。

かんむ-へいし【桓武平氏】🔗🔉

かんむ-へいし クワンム― 【桓武平氏】 平安時代のはじめに平(タイラ)姓を与えられて臣籍に入った皇孫諸流のうち,桓武天皇の子孫の氏の称。葛原(カツラハラ)親王の孫高望(タカモチ)王が東国に下向,その子孫は坂東八平氏として栄え,国香・貞盛・維衡(コレヒラ)・将門らが出た。維衡流の伊勢平氏から出た清盛は,武家政権を樹立した。 →平(タイラ) →桓武平氏[表]

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