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広辞苑の検索結果 (2)

ぜん‐しゅう【禅宗】🔗🔉

ぜん‐しゅう禅宗】 仏教の一派。その教旨は、仏教の真髄は坐禅によって直接に体得されるとし、教外きょうげ別伝・不立文字ふりゅうもんじ・直指人心じきしにんしん・見性成仏けんしょうじょうぶつを主張する。6世紀前半、達磨だるまが中国に伝え、のち5世弘忍に至り、その門下二派に分かれ、6世慧能は南宗を、神秀は北宗を開いたと伝える。慧能の門下南岳の門から臨済・潙仰いぎょうの二宗を出し、青原の門から曹洞・雲門・法眼ほうげんの三宗を出し、合して五家ごけと称する。また、臨済の門から楊岐・黄竜の二派を出し、合して七宗という。日本では、1187年(文治3)栄西が入宋して臨済宗を伝え、1223年(貞応2)道元が入宋して曹洞宗を伝え、1654年(承応3)明の黄檗山の隠元が渡来して黄檗宗を開いた。禅門。仏心宗。 ⇒ぜんしゅう‐よう【禅宗様】

ぜんしゅう‐よう【禅宗様】‥ヤウ🔗🔉

ぜんしゅう‐よう禅宗様‥ヤウ 鎌倉時代、禅宗と共に入って来た宋の建築様式。礎盤・柱の粽ちまき・木鼻・組物の形式・詰組・軒の大きな反り・虹梁こうりょう・大瓶束たいへいづか・火灯窓かとうまど・桟唐戸さんからどなどにその特徴がある。和様建築に大きな影響を与えた。唐様からよう⇒ぜん‐しゅう【禅宗】

大辞林の検索結果 (3)

ぜん-しゅう【禅宗】🔗🔉

ぜん-しゅう [0] 【禅宗】 大乗仏教の宗派の一。日本では臨済宗・曹洞宗・黄檗宗の総称。その先行形態はインドに見られたが,六世紀前半達磨(ダルマ)が中国へ伝えてから発達した。七世紀には六祖慧能の南宗と神秀の北宗とに分かれ,主流となった前者から曹洞宗と臨済宗が派生した。日本へは鎌倉時代の初めに栄西が臨済宗を,道元が曹洞宗をそれぞれ伝え,江戸時代には隠元が黄檗宗を伝えた。座禅を中心においた修行によって心の本性が明らかにされ悟りが得られるとし,不立文字(フリユウモンジ)・教外別伝(キヨウゲベツデン)・直指人心(ジキシニンシン)・見性成仏(ケンシヨウジヨウブツ)を唱える。ただし,道元に始まる日本の曹洞宗は只管打坐(シカンタザ)を説く。仏心宗。禅門。

ぜんしゅう-よう【禅宗様】🔗🔉

ぜんしゅう-よう ―ヤウ [0] 【禅宗様】 鎌倉時代に宋から禅宗とともに伝わった仏教建築様式。軒の反りが大きく,詰め組み・桟唐戸(サンカラト)・火灯窓などを特徴とする。唐様(カラヨウ)。 →寺院建築

ぜんしゅう【禅宗】(和英)🔗🔉

ぜんしゅう【禅宗】 the Zen sect.

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