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おおはらの‐まつり【大原野祭】(おほはらの‥)🔗🔉

おおはらの‐まつり【大原野祭】(おほはらの‥) 京都市西京区の、大原野神社の祭礼。古くは毎年二月上卯の日と一一月中子の日、現在は四月八日に行なう。奈良の春日大社の祭礼にならい、能楽が催される。《季・春》

おおはら‐びじゅつかん【大原美術館】(おほはらビジュツクヮン)🔗🔉

おおはら‐びじゅつかん【大原美術館】(おほはらビジュツクヮン) 岡山県倉敷市にある美術館。昭和五年大原孫三郎が設立。

おおはら‐まごさぶろう【大原孫三郎】(おほはらまごサブラウ)🔗🔉

おおはら‐まごさぶろう【大原孫三郎】(おほはらまごサブラウ) 実業家。私財を投じて大原社会問題研究所、倉敷労働科学研究所、大原農業研究所、大原美術館、孤児院などを設立。(一八八〇〜一九四三)

おおはら‐みこ【大原巫子】(おほはら‥)🔗🔉

おおはら‐みこ【大原巫子】(おほはら‥) =おばらみこ(大原巫子)

おおはら‐め【大原女】(おほはら‥)🔗🔉

おおはら‐め【大原女】(おほはら‥) =おはらめ(大原女)

おおはら‐もんどう【大原問答】(おほはらモンダフ)🔗🔉

おおはら‐もんどう【大原問答】(おほはらモンダフ) 文治二年、浄土宗の開祖法然が、比叡山の学僧顕真法印の求めにより、大原の勝林院で、奈良の諸大寺や延暦寺などの学僧を相手に、浄土念仏の教理について論議、問答し、明快な回答を与えて学僧たちを信服させたこと。大原談義。

おおはら‐ゆうがく【大原幽学】(おほはらイウガク)🔗🔉

おおはら‐ゆうがく【大原幽学】(おほはらイウガク) 江戸後期の農民指導者、道学者。号は静斎。諸国を遊学したのち産業組合的な組織をつくり、農民を指導。のち幕府の圧迫をうけ、自殺。(一七九七〜一八五八)

おお‐ばらん【大葉蘭】(おほ‥)🔗🔉

おお‐ばらん【大葉蘭】(おほ‥) 「はらん(葉蘭)」の異名。

おお‐ハルシャぎく【大波斯菊】(おほ‥)🔗🔉

おお‐ハルシャぎく【大波斯菊】(おほ‥) 「コスモス」の異名。

おお‐ばん【大判・大版】(おほ‥)🔗🔉

おお‐ばん【大判・大版】(おほ‥) 1 (大判)天正一六年以後江戸末期までの間、通用した楕円形の大型金貨。天正大判、慶長大判、元禄大判、享保大判、天保大判、万延大判の六種がある。表面に「拾両・後藤・花押」の墨書がある。拾両は金の容量を示すもので、小判(一両)一〇枚に相当するものでなく、価値は時代により変動した。大判金。 2 紙、本などの、普通より型の大きいもの。

おお‐ばん【大番】(おほ‥)🔗🔉

おお‐ばん【大番】(おほ‥) 1 殿上人(てんじょうびと)が殿上に当直すること。 2 「おおばんやく(大番役)」の略。 3 江戸幕府の職名。旗本によって編成され、平時は要地を守衛し、戦時は先鋒となる。江戸では営中を護衛し、また、番衆のうち二組は京都、大坂に出勤、二条城、大坂城を守衛した。

日国 ページ 2846