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 「いくら」は値段・金額・量・長さ・重さなどを尋ねるにも用いられる。これらを含めて数量を尋ねるとき「どのくらい・どれぐらい」も使うが、例えば、東京まで「いくらですか・いく🔗🔉

 「いくら」は値段・金額・量・長さ・重さなどを尋ねるにも用いられる。これらを含めて数量を尋ねるとき「どのくらい・どれぐらい」も使うが、例えば、東京まで「いくらですか・いくらかかりますか」は費用、「どのくらいかかりますか」は費用と時間、「どのくらいありますか」は距離を尋ねることになって紛らわしいので、はっきり何円・何時間・何人・何個・何メートルなど「何+量詞」を用いる方が誤解は少ない。 補 足 =

 「たとえ」は「仮令・たとい」という古語の変化。「たとえ」つまり 「例」を挙げればという意味の「例えば」とは違う。「たとえ」+「ても・でも・にせよ・にしろ・であれ・とはい🔗🔉

 「たとえ」は「仮令・たとい」という古語の変化。「たとえ」つまり 「例」を挙げればという意味の「例えば」とは違う。「たとえ」+「ても・でも・にせよ・にしろ・であれ・とはいえ・にしても・としても・ようとも」の形で、現在・過去に対する仮定、未来への仮想の逆接条件を表し、後続の事柄はその条件の影響を受けない・その条件にもかかわらず決定的・絶対的である、という意味を示す。「いくら・どんなに〜ても・でも」と異なる点は、意味上の違いのほかに、「たとえ」は既定条件を表さないこと。「みる」を参照。

 「仮に」は「仮に建てた家・破れたところを仮に縫っておく」など、正式・本式ではないという意味から、「仮にぼくが君なら、そんなことはしないだろう・仮に日本へ行く機会があった🔗🔉

 「仮に」は「仮に建てた家・破れたところを仮に縫っておく」など、正式・本式ではないという意味から、「仮にぼくが君なら、そんなことはしないだろう・仮に日本へ行く機会があったら、日本の古典を学ぶつもりだ・仮に死ぬようなことがあっても、これだけはやり遂げたい」など、可能性ゼロから可能性の低い順接・逆接の条件を表し、後続の事柄で、話し手の推量・意志・希望・判断などが示される。「よしんば」は、「たとえ」と同じ意味・使い方をする古い言葉。「不本意・不満ながらそう仮定しても」という話し手の気分が入る。 【例】

 たとえ核戦争が起こったとしても、人類は決して滅びることはない。🔗🔉

 たとえ核戦争が起こったとしても、人類は決して滅びることはない。 置 換 =

 「たとえ」は話し手の強い確信を表し、「決して・絶対」などと呼応するが、「仮に」に置き換えると、結果を客観的に推量することになり、後半は「滅びることはないだろう」に換える🔗🔉

 「たとえ」は話し手の強い確信を表し、「決して・絶対」などと呼応するが、「仮に」に置き換えると、結果を客観的に推量することになり、後半は「滅びることはないだろう」に換える必要がある。「いくら」に置き換えると「何回核戦争が起こっても」となって不自然な文になる。「どんなに」に換えると、「どのような方法・状態で核戦争が起こっても」となり、後半は「人類は滅びるだろう」になるのが自然かもしれない。「しかし」「もし」を参照。

類義使分 ページ 232