複数辞典一括検索+

広辞苑の検索結果 (7)

しょう‐ぐん【将軍】シヤウ‥🔗🔉

しょう‐ぐん将軍シヤウ‥ ①一軍を統率・指揮する武官。大将。 ②一軍を統率して出征する臨時の職。出征の方面によって鎮東将軍・征夷将軍・征夷大将軍などと呼んだが、のち源頼朝が征夷大将軍に任命されて以後もっぱら征夷大将軍(幕府の主宰者)の称となった。 ③将官の俗称。 ⇒しょうぐん‐おび【将軍帯】 ⇒しょうぐん‐け【将軍家】 ⇒しょうぐん‐けいし‐もんだい【将軍継嗣問題】 ⇒しょうぐん‐しょく【将軍職】 ⇒しょうぐん‐せんげ【将軍宣下】 ⇒しょうぐん‐づか【将軍塚】

しょうぐん‐おび【将軍帯】シヤウ‥🔗🔉

しょうぐん‐おび将軍帯シヤウ‥ 昔の武官が礼服の時用いた金銀の装飾ある帯。 ⇒しょう‐ぐん【将軍】

しょうぐん‐け【将軍家】シヤウ‥🔗🔉

しょうぐん‐け将軍家シヤウ‥ 代々征夷大将軍に任ぜられる家筋。また、征夷大将軍。 ⇒しょう‐ぐん【将軍】

しょうぐん‐けいし‐もんだい【将軍継嗣問題】シヤウ‥🔗🔉

しょうぐん‐けいし‐もんだい将軍継嗣問題シヤウ‥ 江戸末期、13代将軍家定の後継をめぐる政争。通商条約交渉問題が絡まって、一橋慶喜を推す一橋派と、徳川慶福を推す南紀派とが抗争。南紀派の井伊直弼が1858年(安政5)大老に就任、継嗣は慶福(のち家茂)に決め、安政の大獄で一橋派を弾圧した。 ⇒しょう‐ぐん【将軍】

しょうぐん‐しょく【将軍職】シヤウ‥🔗🔉

しょうぐん‐しょく将軍職シヤウ‥ 征夷大将軍の職。 ⇒しょう‐ぐん【将軍】

しょうぐん‐せんげ【将軍宣下】シヤウ‥🔗🔉

しょうぐん‐せんげ将軍宣下シヤウ‥ 武家時代、朝廷で、宣旨を賜って征夷大将軍を任命した儀式。1192年(建久3)源頼朝を任じたのに始まる。 ⇒しょう‐ぐん【将軍】

しょうぐん‐づか【将軍塚】シヤウ‥🔗🔉

しょうぐん‐づか将軍塚シヤウ‥ 京都市東山区華頂山上にある塚。平安遷都の際、京の守護神とし、8尺の土偶に鉄甲を着せ、弓矢を携えさせて埋めたが、事変の起こる前にはこの塚が鳴動したと伝える。 ⇒しょう‐ぐん【将軍】

大辞林の検索結果 (8)

しょう-ぐん【将軍】🔗🔉

しょう-ぐん シヤウ― [0] 【将軍】 (1)一軍を統率・指揮する長。特に,陸軍の将官。 (2)一軍を統率して出征する臨時の職。また,その人。征西将軍・鎮東将軍など。 (3)「征夷(セイイ)大将軍」の略称。「鎌倉―実朝」

しょうぐん-おび【将軍帯】🔗🔉

しょうぐん-おび シヤウ― [5] 【将軍帯】 昔,武官が礼服のとき用いた金銀の装飾のある帯。

しょうぐん-け【将軍家】🔗🔉

しょうぐん-け シヤウ― [3][0] 【将軍家】 征夷大将軍に任ぜられる家柄。また,征夷大将軍。

しょうぐん-こうけんしょく【将軍後見職】🔗🔉

しょうぐん-こうけんしょく シヤウ― 【将軍後見職】 江戸時代末期,幕府が設けた臨時の職名。1862年7月,一橋慶喜が任ぜられたが,64年廃止。

しょうぐん-しょく【将軍職】🔗🔉

しょうぐん-しょく シヤウ― [3] 【将軍職】 将軍の職。征夷大将軍の職。また,将軍。

しょうぐん-せんげ【将軍宣下】🔗🔉

しょうぐん-せんげ シヤウ― [5] 【将軍宣下】 朝廷が征夷大将軍に任命する旨の宣旨を下すこと。1192年,源頼朝が任命されたのが最初。

しょうぐん-づか【将軍塚】🔗🔉

しょうぐん-づか シヤウ― 【将軍塚】 (1)京都市東山区華頂山上にある塚。平安遷都のとき,都の守護として武装させた土偶を埋めたという。 (2)武将を葬ったと伝えられる塚。

しょうぐん【将軍】(和英)🔗🔉

しょうぐん【将軍】 a general;→英和 a shogun (幕府の).‖将軍職 the shogunate.

広辞苑+大辞林将軍で始まるの検索結果。