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広辞苑の検索結果 (6)
おだわら【小田原】ヲ‥ハラ🔗⭐🔉
おだわら【小田原】ヲ‥ハラ
神奈川県南西部の市。古来箱根越え東麓の要駅。戦国時代は北条氏の本拠地として栄えた。もと大久保氏11万石の城下町。かまぼこなどの水産加工、木工業が盛ん。人口19万9千。
⇒おだわら‐じょう【小田原城】
⇒おだわら‐ぜめ【小田原攻め】
⇒おだわら‐ぢょうちん【小田原提灯】
⇒おだわら‐ひょうじょう【小田原評定】
⇒おだわら‐ぶき【小田原葺】
おだわら‐じょう【小田原城】ヲ‥ハラジヤウ🔗⭐🔉
おだわら‐じょう【小田原城】ヲ‥ハラジヤウ
小田原市にあった城。大森氏が拠ったが、北条早雲がこれを奪い、以後5代にわたり北条氏の本城となった。北条氏滅亡後、大久保・稲葉氏らが入った。
⇒おだわら【小田原】
おだわら‐ぜめ【小田原攻め】ヲ‥ハラ‥🔗⭐🔉
おだわら‐ぜめ【小田原攻め】ヲ‥ハラ‥
1590年(天正18)豊臣秀吉が小田原城を包囲し、北条氏政・氏直を降した戦い。氏政は自刃、氏直は紀伊国高野山に閉居。小田原征伐。→一夜城。
⇒おだわら【小田原】
おだわら‐ぢょうちん【小田原提灯】ヲ‥ハラヂヤウ‥🔗⭐🔉
おだわら‐ぢょうちん【小田原提灯】ヲ‥ハラヂヤウ‥
不用の時は折りたたんで腰にさし、用いる時には伸ばして拡げられるようにした細長い提灯。箱提灯を小形にした形で、天文(1532〜1555)年間、小田原の甚左衛門という者の創製という。
小田原提灯
⇒おだわら【小田原】
⇒おだわら【小田原】
おだわら‐ひょうじょう【小田原評定】ヲ‥ハラヒヤウヂヤウ🔗⭐🔉
おだわら‐ひょうじょう【小田原評定】ヲ‥ハラヒヤウヂヤウ
(豊臣秀吉が小田原城を攻囲した時、小田原城中で北条氏直の腹心等の和戦の評定が長びいて決しなかったことから)長びいてなかなか決定しない相談。小田原談合。
⇒おだわら【小田原】
おだわら‐ぶき【小田原葺】ヲ‥ハラ‥🔗⭐🔉
おだわら‐ぶき【小田原葺】ヲ‥ハラ‥
「こけらぶき」の異称。
⇒おだわら【小田原】
大辞林の検索結果 (9)
おだわら【小田原】🔗⭐🔉
おだわら ヲダハラ 【小田原】
神奈川県南西部にある市。中世,北条氏の城下町として発展。近世は大久保氏などの城下町,また箱根関を控えた東海道有数の宿場町。箱根観光の玄関口で,県西部の商工業の中心地。水産業も盛ん。梅干し・かまぼこが特産品。
おだわら-ういろう【小田原外郎】🔗⭐🔉
おだわら-ういろう ヲダハラ―ラウ [5] 【小田原外郎】
近世,小田原の名物であった,痰・咳などの妙薬とされた小粒の薬。
→ういろう
おだわら-じょう【小田原城】🔗⭐🔉
おだわら-じょう ヲダハラジヤウ 【小田原城】
小田原市にある城。鎌倉時代は土肥氏,室町時代には大森氏の居城。1495年北条早雲が攻略,北条氏累代の居城となった。1590年豊臣秀吉の小田原征伐で落城。以後,大久保・阿部など徳川の重臣が城主を継いだ。
おだわら-せいばつ【小田原征伐】🔗⭐🔉
おだわら-せいばつ ヲダハラ― 【小田原征伐】
1590年豊臣秀吉が小田原城に北条氏政・氏直父子を攻め滅ぼした戦い。これにより秀吉の全国制覇が完成した。
おだわら-せん【小田原線】🔗⭐🔉
おだわら-せん ヲダハラ― 【小田原線】
小田急電鉄の鉄道線。東京都新宿・神奈川県小田原間,82.5キロメートル。
おだわら-ぢょうちん【小田原提灯】🔗⭐🔉
おだわら-ぢょうちん ヲダハラヂヤウ― [5] 【小田原提灯】
細長い筒形の提灯。折り畳むと上下の枠が組み合わされ,懐(フトコロ)にも入るので懐提灯とも呼ばれる。天文年間(1532-1555),小田原の甚左衛門が作ったという。
小田原提灯
[図]
[図]
おだわら-ひょうじょう【小田原評定】🔗⭐🔉
おだわら-ひょうじょう ヲダハラヒヤウヂヤウ [5] 【小田原評定】
〔豊臣秀吉に小田原城が攻められた時,城内の和戦の評定が長引いて決定しなかった故事から〕
いつまでたっても結論の出ない会議・相談。
おだわら-ぶき【小田原葺き】🔗⭐🔉
おだわら-ぶき ヲダハラ― [0] 【小田原葺き】
「
葺(コケラブ)き」に同じ。
葺(コケラブ)き」に同じ。
おだわらひょうじょう【小田原評定】(和英)🔗⭐🔉
おだわらひょうじょう【小田原評定】
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