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広辞苑の検索結果 (18)

さ‐が【嵯峨】🔗🔉

さ‐が嵯峨】 ①高低があってふぞろいのさま。 ②山の高くけわしいさま。

さが【嵯峨】(地名)🔗🔉

さが嵯峨】 ①京都市の北西隅、右京区の地名。大堰おおい川を隔てて嵐山に対し、清涼寺・天竜寺・大覚寺などのある名勝地。古く嵐山を中心に桜花・紅葉の名所。 嵯峨の竹林 撮影:的場 啓 ②嵯峨切さがぎれの略。

さが‐ぎれ【嵯峨切】🔗🔉

さが‐ぎれ嵯峨切】 古代切の一種。古渡こわたり金襴きんらんの名。足利義政が大内義隆に命じて明国みんこくから舶来させたものという。夢窓疎石の袈裟裂や清涼寺の釈迦如来の戸帳として存する。嵯峨。

さが‐げんじ【嵯峨源氏】🔗🔉

さが‐げんじ嵯峨源氏】 嵯峨天皇の諸皇子で源氏姓を賜って臣下となったものの子孫。後世、渡辺・松浦の諸氏が最も著名。

さが‐ごりゅう【嵯峨御流】‥リウ🔗🔉

さが‐ごりゅう嵯峨御流‥リウ 嵯峨天皇の離宮だった京都大覚寺に伝わる華道。未生流の生花と荘厳花を古典花とし、盛花・瓶花を加える。

さが‐てんのう【嵯峨天皇】‥ワウ🔗🔉

さが‐てんのう嵯峨天皇‥ワウ 平安初期の天皇。桓武天皇の皇子。名は神野かみの。「弘仁格式」「新撰姓氏録しょうじろく」を編纂させ、漢詩文に長じ、「文華秀麗集」「凌雲集」を撰進させた。書道に堪能で、三筆の一人。(在位809〜823)(786〜842)→天皇(表) →文献資料[文華秀麗集]

さがにっき【嵯峨日記】🔗🔉

さがにっき嵯峨日記】 松尾芭蕉が、元禄4年(1691)4〜5月、去来の別荘嵯峨の落柿舎らくししゃに滞在した間の句文をつづった日記。門弟の動静、自己の心境を記す。1巻。1753年(宝暦3)刊。 →文献資料[嵯峨日記]

さが‐にんぎょう【嵯峨人形】‥ギヤウ🔗🔉

さが‐にんぎょう嵯峨人形‥ギヤウ 木彫に極彩色を施し置上おきあげ模様に金銀を配した精緻な人形。京都嵯峨付近で作られる。

さがの【嵯峨野】🔗🔉

さがの嵯峨野】 京都市右京区嵯峨付近の台地の称。古くから秋草・虫の名所。(歌枕)

さが‐の‐しゃか【嵯峨の釈迦】🔗🔉

さが‐の‐しゃか嵯峨の釈迦】 京都市右京区嵯峨の清涼寺の本尊、奝然ちょうねん将来の釈迦如来像のこと。江戸出開帳などでは多くの参詣人を集めた。

さが‐の‐だいねんぶつ【嵯峨の大念仏】🔗🔉

さが‐の‐だいねんぶつ嵯峨の大念仏】 京都嵯峨の清涼寺で、毎年4月(もと3月)中旬に行う大念仏会。1279年(弘安2)円覚上人の創始。嵯峨念仏。〈[季]春〉

さがのや‐おむろ【嵯峨の屋お室】🔗🔉

さがのや‐おむろ嵯峨の屋お室】 小説家・詩人。東京外語卒。本名、矢崎鎮四郎しんしろう。下総(千葉県)の人。坪内逍遥の門人。ロシア文学を紹介し、理想主義と厭世感の入り交じった独特の作風で小説・新体詩・評論を書いた。作「初恋」、評論「小説家の責任」など。(1863〜1947)

さが‐ぼん【嵯峨本】🔗🔉

さが‐ぼん嵯峨本】 慶長(1596〜1615)後半から元和(1615〜1624)にかけて、本阿弥光悦またはそれに類する筆跡を版下とし、美麗な表紙・料紙を用いて出版された書籍の総称。豪商角倉すみのくら素庵が京都の嵯峨において出版したとされる。多くは伊勢物語・徒然草・観世流謡本など平仮名まじりの木活字による国文学書で、本文・挿絵ともに近世版本の源流となった。→光悦本

さが‐まるた【嵯峨丸太】🔗🔉

さが‐まるた嵯峨丸太】 丹波地方に産し、大堰おおい川に筏いかだに組んで流し、嵯峨付近で陸揚げした丸太。

さが‐やき【嵯峨焼】🔗🔉

さが‐やき嵯峨焼】 京都の嵯峨付近で焼かれた陶器。

さが‐よう【嵯峨様】‥ヤウ🔗🔉

さが‐よう嵯峨様‥ヤウ 和様書道の一派。

さが‐りゅう【嵯峨流】‥リウ🔗🔉

さが‐りゅう嵯峨流‥リウ ①和様書道の一派。本阿弥光悦の門人、嵯峨の人角倉すみのくら素庵の創始。角倉流。与一流。 ②築庭の一派。夢窓疎石が創めたという。天竜寺の庭を範とするもの。 ○下がりを請くさがりをうく 買置きした品物の値が下がって損をする。「さがりを得る」とも。日本永代蔵6「買置すればさがりを請け」↔上がりを請く ⇒さがり【下がり】

[漢]嵯🔗🔉

 字形 〔山部10画/13画/人名/2623・3A37〕 〔音〕サ(漢) ▷[嵳]は異体字。

大辞林の検索結果 (22)

さが【嵯峨】🔗🔉

さが 【嵯峨】 (1)京都市右京区,大堰(オオイ)川東岸の地名。対岸の嵐山と並ぶ名勝地。天竜寺・大覚寺・広沢池・車折(クルマザキ)神社・清涼寺など名所史跡に富む。((歌枕))「―の山みゆきたえし芹(セリ)の千世の古道あとは有けり/後撰(雑一)」 (2)「嵯峨切(サガギレ)」の略。

さ-が【嵯峨】🔗🔉

さ-が [1] 【嵯峨】 (ト|タル)[文]形動タリ 山などの高く険しいさま。「剣山(ケンザン)は岩石―たる奇峰で/肉弾(忠温)」

さが-ぎれ【嵯峨切】🔗🔉

さが-ぎれ [0] 【嵯峨切】 名物裂(ギレ)の一。 (1)緋色地に霊芝雲と宝尽くしを織り出した金襴。京都市嵯峨の天竜寺の什宝として現存。嵯峨。 (2)紺地に入子菱(ヒシ)の地文で,五七桐の金襴。

さが-げんじ【嵯峨源氏】🔗🔉

さが-げんじ 【嵯峨源氏】 嵯峨天皇の諸皇子で源(ミナモト)姓を与えられ臣下となった者。源信(マコト)・源融(トオル)など,一字名が多い。

さが-ごしょ【嵯峨御所】🔗🔉

さが-ごしょ 【嵯峨御所】 大覚寺(ダイカクジ)の通称。

さが-ごりゅう【嵯峨御流】🔗🔉

さが-ごりゅう ―ゴリウ 【嵯峨御流】 生け花の流派の一。嵯峨流に荘厳花様式を加えたもの。

さが-てんのう【嵯峨天皇】🔗🔉

さが-てんのう ―テンワウ 【嵯峨天皇】 (786-842) 第五二代天皇(在位 809-823)。名は神野(カミノ)。桓武天皇の皇子。蔵人所(クロウドドコロ)・検非違使(ケビイシ)を設置。在位中は唐風文化が栄え「弘仁格式」「日本後紀」が編まれた。詩文にすぐれ「凌雲集」などに漢詩を残す。能筆でも知られ,三筆の一人。

さがにっき【嵯峨日記】🔗🔉

さがにっき 【嵯峨日記】 日記。一巻。松尾芭蕉の残した唯一の日記。1753年刊。芭蕉が,1691年4月18日から五月四日まで嵯峨にあった去来の落柿舎(ラクシシヤ)に滞在した折の,文芸性に富む日記。

さが-にんぎょう【嵯峨人形】🔗🔉

さが-にんぎょう ―ニンギヤウ [3] 【嵯峨人形】 元禄(1688-1704)前後に流行した金泥極彩色を施した木彫り人形。多くは唐子(カラコ)・布袋(ホテイ)・大黒などで,京都の嵯峨地方で製作した。

さが-ねんぶつ【嵯峨念仏】🔗🔉

さが-ねんぶつ 【嵯峨念仏】 「嵯峨の大念仏」に同じ。[季]春。

さがの【嵯峨野】🔗🔉

さがの 【嵯峨野】 京都市右京区嵯峨付近の称。((歌枕))「かなしさは秋の―のきりぎりす猶古郷(フルサト)にねをや鳴くらむ/新古今(哀傷)」

さがの-せん【嵯峨野線】🔗🔉

さがの-せん 【嵯峨野線】 JR 西日本の山陰本線のうち,京都・園部間を走る近郊列車線の称。

さが-の-しゃか【嵯峨の釈迦】🔗🔉

さが-の-しゃか 【嵯峨の釈迦】 京都嵯峨の清涼寺の本尊,釈迦如来像のこと。東大寺の僧然(チヨウネン)が宋からもたらしたもので,三国伝来のものとして尊ばれた。

さが-の-だいねんぶつ【嵯峨の大念仏】🔗🔉

さが-の-だいねんぶつ 【嵯峨の大念仏】 京都嵯峨の清涼寺で四月中旬の数日行われた念仏会(ネンブツエ)。円覚上人の創始で,1279年に始まったといわれる。

さが-の-はしらたいまつ【嵯峨の柱炬】🔗🔉

さが-の-はしらたいまつ 【嵯峨の柱炬】 京都嵯峨の清涼寺で,寺内の釈迦堂の前に三か所の大きなたいまつを立てて燃やし,念仏を唱える行事。三月一五日の夕に行う。

さがのや-おむろ【嵯峨の屋お室】🔗🔉

さがのや-おむろ 【嵯峨の屋お室】 (1863-1947) 小説家・詩人・翻訳家。下総の人。本名,矢崎鎮四郎。東京外語学校卒。坪内逍遥に師事。ロシア文学の影響を受け,浪漫的・文明批評的傾向をあわせもつ作風で知られた。小説「初恋」「くされ玉子」「野末の菊」「流転」など。

さが-ぼん【嵯峨本】🔗🔉

さが-ぼん [0] 【嵯峨本】 近世初頭,京都の嵯峨で本阿弥光悦やその門下の角倉(スミノクラ)素庵が刊行した木活字の豪華本。ほとんどが伊勢物語・徒然草・方丈記・百人一首・観世流謡曲など国文学作品で,用紙や装丁には美しいデザインと工夫がこらされている。角倉本。光悦本。

さが-まるた【嵯峨丸太】🔗🔉

さが-まるた [3] 【嵯峨丸太】 丹波地方で産し,大堰(オオイ)川へ筏(イカダ)に組んで流し,嵯峨付近で陸揚げした丸太。

さが-やき【嵯峨焼】🔗🔉

さが-やき [0] 【嵯峨焼】 江戸末期,京都の嵯峨地方から産した陶器。

さが-よう【嵯峨様】🔗🔉

さが-よう ―ヤウ [0] 【嵯峨様】 和様書道の一派,嵯峨流の書風。

さが-りゅう【嵯峨流】🔗🔉

さが-りゅう ―リウ 【嵯峨流】 (1)築庭の一流派。夢窓疎石を祖とするといわれる。 (2)和様書道の流派。角倉(スミノクラ)素庵が創始。角倉流。与市流。 (3)生け花の一流派。嵯峨天皇を開祖と伝え,大覚寺を本拠とする。

さ-さ【嵯嵯】🔗🔉

さ-さ [1] 【嵯嵯】 (ト|タル)[文]形動タリ 高くけわしいさま。「岩が真直に池の底から突き出して…―と構へる/草枕(漱石)」

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