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広辞苑の検索結果 (2)

かつら‐の‐みや【桂宮】🔗🔉

かつら‐の‐みや桂宮】 ①四親王家の一つ。正親町天皇の皇子誠仁のぶひと親王の王子智仁としひと親王に始まる。1590年(天正18)創立。1881年(明治14)第11代淑子すみこ内親王(仁孝天皇皇女)が没するに至って廃絶。宮号は初め八条宮、のち京極宮。桂宮と称するのは9代盛仁たけひと親王から。 ②宮家の一つ。1988年、三笠宮崇仁親王の第2皇子宜仁よしひと親王(1948〜)が創始。

けいきゅう‐いん【桂宮院】‥ヰン🔗🔉

けいきゅう‐いん桂宮院‥ヰン 京都太秦うずまさにある広隆寺の奥の院。八稜形の和様宮殿風八角円堂。聖徳太子の楓野別宮のあった所と伝えるが、実際はかつての太子堂の跡を継いで、1251年(建長3)ごろ別院として建立。国宝。けいぐういん。

大辞林の検索結果 (3)

かつら-の-みや【桂宮】🔗🔉

かつら-の-みや 【桂宮】 (1)旧宮家。四親王家の一。正親町(オオギマチ)天皇の第一皇子誠仁(ノブヒト)親王の第六王子智仁(トシヒト)親王が,1589年八条宮家を興したのに始まる。以後,常磐井宮・京極宮とも称されたが1810年桂宮と改称。第一一代淑子(スミコ)内親王が81年(明治14)死去して廃絶。 (2)宮家。1988年(昭和63),三笠宮崇仁(タカヒト)親王の第二皇子宜仁(ヨシヒト)親王が創立。

けいきゅう-いん【桂宮院】🔗🔉

けいきゅう-いんン 【桂宮院】 京都市右京区太秦(ウズマサ)にある広隆寺の奥の院。単層で檜皮葺(ヒワダブ)きの八角円堂。鎌倉時代の再建。国宝。けいぐういん。

けいぐう-いん【桂宮院】🔗🔉

けいぐう-いんン 【桂宮院】 ⇒けいきゅういん(桂宮院)

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