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広辞苑の検索結果 (3)
じゅんな‐いん【淳和院】‥ワヰン🔗⭐🔉
じゅんな‐いん【淳和院】‥ワヰン
淳和天皇が在位中に造営した離宮。京都右京区四条の北、佐比大路東4町の地を占め、西院さいいんとも称された。879年(元慶3)に寺とした。のち源氏の公卿を別当として置き、奨学院の別当を兼ねた。
じゅんな‐しょうがく‐りょういん‐の‐べっとう【淳和奨学両院の別当】‥ワシヤウ‥リヤウヰン‥タウ🔗⭐🔉
じゅんな‐しょうがく‐りょういん‐の‐べっとう【淳和奨学両院の別当】‥ワシヤウ‥リヤウヰン‥タウ
淳和院と奨学院との管理職。もと源氏の長者が宣旨によって任命されたが、村上源氏の中院なかのいん雅定が、鳥羽上皇の院宣により両院別当を兼ね、その子孫久我こが氏の世襲となった。室町時代、足利義満が自ら源氏の長者となり両院の別当を称してから、足利氏および徳川氏累代の将軍はこの称を継承した。
じゅんな‐てんのう【淳和天皇】‥ワ‥ワウ🔗⭐🔉
じゅんな‐てんのう【淳和天皇】‥ワ‥ワウ
平安初期の天皇。桓武天皇の第3皇子。名は大伴。西院帝さいいんのみかどとも。漢詩にすぐれ、「経国集」を良岑よしみね安世らに撰進させた。(在位823〜833)(786〜840)→天皇(表)
大辞林の検索結果 (3)
じゅんないん【淳和院】🔗⭐🔉
じゅんないん ジユンワ
ン 【淳和院】
淳和天皇の後院。平安京右京四条大路北側にあった。のち同名を寺号とする寺とされ,源氏から別当職が置かれた。
ン 【淳和院】
淳和天皇の後院。平安京右京四条大路北側にあった。のち同名を寺号とする寺とされ,源氏から別当職が置かれた。
じゅんなしょうがくりょういん-べっとう【淳和奨学両院別当】🔗⭐🔉
じゅんなしょうがくりょういん-べっとう ジユンワシヤウガクリヤウ
ンベツタウ [1]-[5] 【淳和奨学両院別当】
淳和院と奨学院との別当を兼任する人。古くは源氏の長者が両院の別当を兼任し,長者が大臣に任ぜられると源氏の次位者に与えられたが,1140年右大臣中院(ナカノイン)雅定(村上源氏)が両院別当に任ぜられてから,その子孫の世襲となった。1383年将軍足利義満(清和源氏の裔)が任ぜられてより将軍家の兼任となった。明治維新で廃止。
ンベツタウ [1]-[5] 【淳和奨学両院別当】
淳和院と奨学院との別当を兼任する人。古くは源氏の長者が両院の別当を兼任し,長者が大臣に任ぜられると源氏の次位者に与えられたが,1140年右大臣中院(ナカノイン)雅定(村上源氏)が両院別当に任ぜられてから,その子孫の世襲となった。1383年将軍足利義満(清和源氏の裔)が任ぜられてより将軍家の兼任となった。明治維新で廃止。
じゅんな-てんのう【淳和天皇】🔗⭐🔉
じゅんな-てんのう ジユンワテンワウ 【淳和天皇】
(786-840) 第五三代天皇(在位 823-833)。名は大伴。西院の帝(ミカド)ともいう。桓武天皇の皇子。漢学にすぐれ,「令義解」「経国集」を編ませた。
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