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広辞苑の検索結果 (1)
じゅんな‐しょうがく‐りょういん‐の‐べっとう【淳和奨学両院の別当】‥ワシヤウ‥リヤウヰン‥タウ🔗⭐🔉
じゅんな‐しょうがく‐りょういん‐の‐べっとう【淳和奨学両院の別当】‥ワシヤウ‥リヤウヰン‥タウ
淳和院と奨学院との管理職。もと源氏の長者が宣旨によって任命されたが、村上源氏の中院なかのいん雅定が、鳥羽上皇の院宣により両院別当を兼ね、その子孫久我こが氏の世襲となった。室町時代、足利義満が自ら源氏の長者となり両院の別当を称してから、足利氏および徳川氏累代の将軍はこの称を継承した。
大辞林の検索結果 (1)
じゅんなしょうがくりょういん-べっとう【淳和奨学両院別当】🔗⭐🔉
じゅんなしょうがくりょういん-べっとう ジユンワシヤウガクリヤウ
ンベツタウ [1]-[5] 【淳和奨学両院別当】
淳和院と奨学院との別当を兼任する人。古くは源氏の長者が両院の別当を兼任し,長者が大臣に任ぜられると源氏の次位者に与えられたが,1140年右大臣中院(ナカノイン)雅定(村上源氏)が両院別当に任ぜられてから,その子孫の世襲となった。1383年将軍足利義満(清和源氏の裔)が任ぜられてより将軍家の兼任となった。明治維新で廃止。
ンベツタウ [1]-[5] 【淳和奨学両院別当】
淳和院と奨学院との別当を兼任する人。古くは源氏の長者が両院の別当を兼任し,長者が大臣に任ぜられると源氏の次位者に与えられたが,1140年右大臣中院(ナカノイン)雅定(村上源氏)が両院別当に任ぜられてから,その子孫の世襲となった。1383年将軍足利義満(清和源氏の裔)が任ぜられてより将軍家の兼任となった。明治維新で廃止。
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