複数辞典一括検索+

きのした‐りげん【木下利玄】🔗🔉

きのした‐りげん【木下利玄】一八八六〜一九二五]歌人。岡山の生まれ。本名、利玄(としはる)。佐佐木信綱の門下。「心の花」、ついで「白樺」同人。歌集「銀」「紅玉」「一路」など。

きのじ‐の‐いわい【喜の字の祝(い)】‐いはひ🔗🔉

きのじ‐の‐いわい【喜の字の祝(い)】‐いはひ 喜寿の祝い。喜の祝い。

きのじ‐や【喜の字屋】🔗🔉

きのじ‐や【喜の字屋】 江戸吉原の遊郭内の仕出し屋の通称。享保(一七一六〜一七三六)のころ、小田原屋喜右衛門が始めたことに由来する名という。「雑煮のあんばいよき、―の名も高く」〈洒・遊子方言〉

き‐の‐つらゆき【紀貫之】🔗🔉

き‐の‐つらゆき【紀貫之】八七〇ころ〜九四五ころ]平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。大内記・土佐守(とさのかみ)などを歴任。紀友則(きのとものり)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)と古今集の撰にあたり、仮名序を書いた。著「土佐日記」、家集「貫之集」など。

き‐の‐と【乙】🔗🔉

き‐の‐と【乙】 《「木の弟(と)」の意》十干の二番目。おつ。

き‐の‐ときぶみ【紀時文】🔗🔉

き‐の‐ときぶみ【紀時文】 平安中期の歌人。貫之(つらゆき)の子。梨壺(なしつぼ)の五人の一人。村上天皇の勅により万葉集の訓釈を行い、また後撰集を撰進。生没年未詳。

き‐の‐どく【気の毒】🔗🔉

き‐の‐どく【気の毒】 [名・形動]スル《もと、自分の気持ちにとって毒になることの意で、「気の薬(くすり)」に対する語》他人の不幸や苦痛などに同情して心を痛めること。また、そのさま。「お―に存じます」「―な境遇」他人に迷惑をかけて申し訳なく思うこと。また、そのさま。「彼には―なことをした」気にかかること。不快に思うこと。また、そのさま。「思ひもつかねえことを言はれると、おいらも腹は立たねえが―だ」〈人・辰巳園・初〉困ってしまうこと。きまりが悪いこと。また、そのさま。「親方の手前―のおもはくにて、顔を真赤にしてゐる」〈滑・浮世床・初〉 [派生]きのどくがる[動ラ五]きのどくげ[形動]きのどくさ[名] [類語]可哀相(かわいそう)・哀れ・不憫(ふびん)・痛痛しい・痛ましい・労(いたわ)しい/心苦しい・済まない・申し訳ない

大辞泉 ページ 3760