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にった【新田】🔗⭐🔉
にった【新田】
姓氏の一つ。清和源氏の一族。源義家の子義国が下野に下り、その子義重が上野国新田荘を開発して新田太郎と称したのに始まる。
⇒にった‐じろう【新田次郎】
⇒にった‐よしあき【新田義顕】
⇒にった‐よしおき【新田義興】
⇒にった‐よしさだ【新田義貞】
にっ‐たい‐きょう【日体協】‥ケフ🔗⭐🔉
にっ‐たい‐きょう【日体協】‥ケフ
日本体育協会の略称。
にったい‐じ【日泰寺】🔗⭐🔉
にったい‐じ【日泰寺】
名古屋市千種ちくさ区にある単立宗教法人。舎利および黄金釈迦像をシャム国王家より寄贈され、諸宗共同で1904年(明治37)創立。42年(昭和17)旧称の日暹寺にっせんじを改称。
にったい‐しょく【日帯食】🔗⭐🔉
にったい‐しょく【日帯食】
太陽が日食のまま日の出となり、または日没となること。
にった‐じろう【新田次郎】‥ラウ🔗⭐🔉
にった‐じろう【新田次郎】‥ラウ
小説家。本名、藤原寛人。長野県生れ。中央気象台に勤務。山岳小説の第一人者として活躍。作「強力ごうりき伝」「八甲田山死の彷徨ほうこう」など。(1912〜1980)
⇒にった【新田】
にった‐ただつね【仁田忠常】🔗⭐🔉
にった‐ただつね【仁田忠常】
鎌倉初期の武士。伊豆国の人。通称、仁田四郎にたんのしろう。源頼朝に仕え、範頼に従って平氏を西海に討ち、富士の巻狩に曾我十郎祐成を討った。後に将軍頼家の命により北条時政を誅しようとして成らず、加藤景廉かげかどに殺された。( 〜1203)
⇒にった【仁田】
にった‐よしあき【新田義顕】🔗⭐🔉
にった‐よしあき【新田義顕】
南北朝時代の武将。義貞の長子。父義貞とともに北陸経営に赴き、越前金崎かねがさきを守ったが、足利方に包囲され、翌年尊良たかよし親王とともに自刃。( 〜1337)
⇒にった【新田】
にった‐よしおき【新田義興】🔗⭐🔉
にった‐よしおき【新田義興】
南北朝時代の武将。義貞の子。左兵衛佐。南朝方に属し、関東でしばしば北朝方と戦ったが、越後にのがれ、のち武蔵に出て、六郷川の矢口渡で謀殺される。(1331〜1358)
⇒にった【新田】
広辞苑 ページ 14991。