複数辞典一括検索+

みなもと‐の‐よしいえ【源義家】‥イヘ🔗🔉

みなもと‐の‐よしいえ源義家‥イヘ 平安後期の武将。頼義の長男。八幡太郎と号す。幼名、不動丸・源太丸。武勇にすぐれ、和歌も巧みであった。前九年の役には父とともに陸奥の安倍貞任を討ち、陸奥守兼鎮守府将軍となり、後三年の役を平定。東国に源氏勢力の根拠を固めた。(1039〜1106) →資料:『陸奥話記』 ⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐よしつね【源義経】🔗🔉

みなもと‐の‐よしつね源義経】 平安末期の武将。義朝の9男。幼名は牛若。7歳で鞍馬寺に入り、次いで陸奥の藤原秀衡ひでひらの許に身を寄せたが、1180年(治承4)兄頼朝の挙兵に応じて源義仲を討ち、さらに平氏を一谷・屋島・壇ノ浦に破った。しかし頼朝の許可なく検非違使・左衛門尉に任官したことから不和となり、再び秀衡に身を寄せ、秀衡の死後、その子泰衡に急襲され、衣川の館に自殺。薄命の英雄として伝説化される。九郎判官義経。(1159〜1189) →資料:『腰越状』 ⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐よしとも【源義朝】🔗🔉

みなもと‐の‐よしとも源義朝】 平安末期の武将。為義の長男。下野守。保元の乱に後白河天皇方に参加し、白河殿を陥れ、左馬頭となったが、清盛と不和となり、藤原信頼と結んで平治の乱を起こし、敗れて尾張に逃れ、家人の長田忠致おさだただむねに殺された。(1123〜1160) ⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐よしなか【源義仲】🔗🔉

みなもと‐の‐よしなか源義仲】 平安末期の武将。為義の孫。2歳の時、父義賢よしかたが義平に討たれた後、木曾山中で育てられ、木曾次郎(義仲)という。1180年(治承4)以仁王もちひとおうの令旨を奉じて挙兵。平通盛らを越前に破り、平維盛を礪波山となみやまに夜襲し、平氏を西海に走らせて京都に入り、84年(寿永3)征夷大将軍に任ぜられたが、範頼・義経の軍と戦って敗れ、近江粟津で戦死。(1154〜1184) ⇒みなもと【源】

広辞苑 ページ 18935