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きた‐の‐みや【北の宮】🔗🔉

きた‐の‐みや北の宮】 皇后および中宮。きさいのみや。公忠集「―のみくしあげの屏風に」

きた‐の‐もの【北の物】🔗🔉

きた‐の‐もの北の物】 (女房詞)麻布の夜着の称。おひえ。

きた‐の‐もん【北の門】🔗🔉

きた‐の‐もん北の門(→)「北の陣」に同じ。平家物語1「その勢僅かに三百余騎、―、縫殿の陣をかため給ふ」

きだ‐はし【階】🔗🔉

きだ‐はし】 (段梯きだはしの意)きざはし。階段。段梯子。

きたばたけ‐あきいえ【北畠顕家】‥イヘ🔗🔉

きたばたけ‐あきいえ北畠顕家‥イヘ 南北朝時代の公家。親房の長子。1333年(元弘3)陸奥守、のち鎮守府将軍を兼ね、義良親王を奉じて奥羽を鎮定。後醍醐天皇吉野落ちの翌年、親王を奉じて西上、各地に転戦、和泉石津で戦死。(1318〜1338) ⇒きたばたけ【北畠】

きたばたけ‐あきのぶ【北畠顕信】🔗🔉

きたばたけ‐あきのぶ北畠顕信】 南北朝時代の公家。親房の次男。1338年(延元3)鎮守府将軍となり、40年(興国1)以後、奥羽で悪戦苦闘した。( 〜1380?) ⇒きたばたけ【北畠】

きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】🔗🔉

きたばたけ‐あきよし北畠顕能】 南北朝時代の公家。親房の3男。1352年(正平7)南朝を率いて京都に攻め入った。( 〜1383?) ⇒きたばたけ【北畠】

きたばたけ‐じゅごう【北畠准后】🔗🔉

きたばたけ‐じゅごう北畠准后】 北畠親房の敬称。 ⇒きたばたけ【北畠】

きたばたけ‐ちかふさ【北畠親房】🔗🔉

きたばたけ‐ちかふさ北畠親房】 南北朝時代の公家。鎌倉幕府滅亡後、義良親王を奉じて陸奥に赴く。1339年(延元4)「神皇正統記」を著述。吉野で後村上天皇をたすけて南朝の支柱となる。著はほかに「元元集」「職原鈔」「関城書」など。賀名生あのうで没。(1293〜1354) →著作:『神皇正統記』 ⇒きたばたけ【北畠】

広辞苑 ページ 4832