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○斧の柄朽つおののえくつ🔗⭐🔉
○斧の柄朽つおののえくつ
(述異記に「晋の王質が木を伐りに山に行って、仙童の囲碁の一局を見終わらないうちに斧の柄が朽ちているのに驚いて、村に帰ると、知人は皆死んでいた」とある故事に基づく)わずかな間と思っているうちに、長い年月を過ごすこと。
⇒おの【斧】
おの‐の‐おつう【小野お通】ヲ‥
歴代美濃に住した小野正秀の女むすめ。文芸・糸竹の技に長じた。浄瑠璃「十二段草子」の作者と伝えるが、誤り。(1568〜1631?)
⇒おの【小野】
おの‐の‐おゆ【小野老】ヲ‥
万葉歌人。大宰大弐だざいのだいに在任中に没。万葉集中の歌「あをによし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」は天平初年少弐時代の作。( 〜737)
⇒おの【小野】
おのの・く【戦く】ヲノノク
〔自五〕
おそれふるえる。わななく。西大寺本最勝王経平安初期点「遍く身戦ヲノノキ掉うごきつつ安穏にあらぬ」。「恐怖に―・く」
おの‐の‐こうたいこう【小野皇太后】ヲ‥クワウ‥
後冷泉天皇の皇后。藤原教通の女むすめ。歓子。関白頼通の女が宮中に入るに及んで、怒って兄静円の小野の山房に隠棲、剃髪。(1021〜1102)
⇒おの【小野】
おの‐の‐こまち【小野小町】ヲ‥
平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。出羽郡司小野良真(篁たかむらの子)の女むすめともいう。歌は柔軟艶麗。文屋康秀・僧正遍昭らとの贈答歌があり、仁明・文徳朝頃の人と知られる。絶世の美人として七小町などの伝説がある。
⇒おの【小野】
おの‐の‐たかむら【小野篁】ヲ‥
平安前期の貴族・文人。参議岑守みねもりの子。遣唐副使に任命されたが、大使藤原常嗣の専横を怒って病と称して従わず、隠岐おきに流され、のち召還されて参議。博学で詩文に長じた。「令義解りょうのぎげ」を撰。野相公。野宰相。(802〜852)
⇒おの【小野】
おの‐の‐とうふう【小野道風】ヲ‥タウ‥
(名は正しくはミチカゼとよむ)平安中期の書家。篁たかむらの孫。醍醐・朱雀・村上の三朝に歴仕。若くして書に秀で、和様の基礎を築く。藤原佐理すけまさ・藤原行成ゆきなりとともに三蹟と称される。真蹟として「屏風土代」「玉泉帖」などがあるが、信ずべき仮名の作品は未発見。(894〜966)
⇒おの【小野】
おの‐の‐みや【小野宮】ヲ‥
京都大炊御門の南、烏丸の西にあった邸宅。もと惟喬これたか親王(小野宮)の邸宅。のち太政大臣藤原実頼が住んで小野宮大臣と呼ばれ、またその門流を小野宮家という。藤原実資さねすけ・公任きんとうら典礼故実に通じた人を輩出、有職故実の名家とされた。
おの‐の‐よしふる【小野好古】ヲ‥
平安中期の貴族。道風の兄。武勇の誉れ高く、天慶の乱のとき山陽道追捕使ついぶしに任命されて藤原純友を追討、参議に至る。(884〜968)
⇒おの【小野】
おの‐は‐いっとうりゅう【小野派一刀流】ヲ‥タウリウ
剣術の一派。小野忠明を祖とする一刀流の流派。小野流。
おの‐はじめ【斧始め】ヲノ‥
①家を建造する時、はじめて材木に斧を入れること。この日、祝いをする。ちょうなはじめ。こづくりはじめ。
②その年はじめて山に入り、木を伐り出す、新年の行事。〈[季]新年〉
お‐のぼり【御上り】
地方から都へ行くこと。また、その人。
⇒おのぼり‐さん【御上りさん】
おのぼり‐さん【御上りさん】
都会に出てきた田舎者をからかっていう語。
⇒お‐のぼり【御上り】
おの‐ぼれ【己惚れ】
(→)「うぬぼれ」に同じ。
オノマトペア【onomatopoeia】
〔言〕(→)擬音語に同じ。
お‐の‐み【尾の身】ヲ‥
(→)尾肉おにくに同じ。
おのみ‐あぶら【麻実油】ヲ‥
⇒あさみゆ
おのみち【尾道】ヲ‥
広島県の南東部、瀬戸内海沿岸の市。平安時代から瀬戸内海水運の中継港。古名、山の尾の路・玉の浦。人口15万。
尾道
撮影:新海良夫
おのみなと【雄水門】ヲ‥
大阪湾に面した、上古の着船地かという。(神武東征伝説で、皇兄五瀬命いつせのみことが矢きずを負い雄たけびしたということから)
おの‐も‐おの‐も【各も各も】
おのおの。めいめい。続日本紀26「―貞さだかに明あかく浄き心を以て」
おの‐もんぜき【小野門跡】ヲ‥
随心院の異称。
おの‐ら【己等】
〔代〕
①(一人称)われら。舒明紀「―が父子かぞこ並に蘇我より出でたり」
②(二人称)同輩以下を卑しめていう。おまえら。うぬら。狂言、二人大名「―がぬぎをつて、つくばうてをるなりは」
おの‐らんざん【小野蘭山】ヲ‥
江戸後期の本草学者。名は職博もとひろ。京都の人。松岡恕庵に学び、幕命により江戸の医学館で本草学を講じ、諸国に採薬旅行。著「本草綱目啓蒙」「広参説」「飲膳摘要」など。(1729〜1810)
⇒おの【小野】
おの‐りゅう【小野流】ヲ‥リウ
①〔仏〕真言宗の事相の一派。平安中期、聖宝しょうぼうを祖とし、仁海が京都醍醐の小野に曼荼羅寺(今の随心院)を開いて広めた。後に小野三流(安祥寺流・勧修寺流・随心院流の3流)・醍醐三流の6流に分かれ、広沢流が儀軌を主とするのに対して、口伝を重んじた。↔広沢流。
②小野派一刀流の俗称。
おのれ【己】
[一]〔名〕
自分自身。万葉集16「伊夜彦は―神さび」。「士は―を知る者の為に死す」
[二]〔代〕
①(一人称)わたくし。われ。宇津保物語俊蔭「―は天上より来り給ひし人の御子供なり」
②(二人称)目下の者に、または人をののしる時にいう。きさま。こいつ。宇治拾遺物語1「―はまがまがしかりける心もちたる者かな」。日葡辞書「ヲノレメ」。狂言、河原新市「なんの―、人の飲まうといふ時は飲まさいで」
[三]〔副〕
自然と。ひとりでに。おのずから。源氏物語末摘花「松の木の―起きかへり」
[四]〔感〕
物事に激して自ら励ます時に発する声。「―、何のこれしき」
⇒おのれ‐おい【己生い】
⇒おのれ‐がお【己顔】
⇒おのれ‐ざき【己咲き】
⇒おのれ‐と【己と】
⇒おのれ‐やれ【己やれ】
⇒おのれ‐ら【己等】
⇒己達せんと欲すれば人を達せしむ
⇒己に克ち礼に復る
⇒己に如かざる者を友とするなかれ
⇒己の欲せざる所は人に施すなかれ
⇒己を枉げる
⇒己を虚しうす
おのれ‐おい【己生い】‥オヒ
自然に生い出ること。自生。
⇒おのれ【己】
おのれ‐がお【己顔】‥ガホ
自分こそはと思う自慢らしい顔つき。われはがお。俊成女集「―なる風の音かな」
⇒おのれ【己】
おのれ‐ざき【己咲き】
自然に生い出て咲く花。男色大鑑「―の菜種の花」
⇒おのれ【己】
おのみなと【雄水門】ヲ‥
大阪湾に面した、上古の着船地かという。(神武東征伝説で、皇兄五瀬命いつせのみことが矢きずを負い雄たけびしたということから)
おの‐も‐おの‐も【各も各も】
おのおの。めいめい。続日本紀26「―貞さだかに明あかく浄き心を以て」
おの‐もんぜき【小野門跡】ヲ‥
随心院の異称。
おの‐ら【己等】
〔代〕
①(一人称)われら。舒明紀「―が父子かぞこ並に蘇我より出でたり」
②(二人称)同輩以下を卑しめていう。おまえら。うぬら。狂言、二人大名「―がぬぎをつて、つくばうてをるなりは」
おの‐らんざん【小野蘭山】ヲ‥
江戸後期の本草学者。名は職博もとひろ。京都の人。松岡恕庵に学び、幕命により江戸の医学館で本草学を講じ、諸国に採薬旅行。著「本草綱目啓蒙」「広参説」「飲膳摘要」など。(1729〜1810)
⇒おの【小野】
おの‐りゅう【小野流】ヲ‥リウ
①〔仏〕真言宗の事相の一派。平安中期、聖宝しょうぼうを祖とし、仁海が京都醍醐の小野に曼荼羅寺(今の随心院)を開いて広めた。後に小野三流(安祥寺流・勧修寺流・随心院流の3流)・醍醐三流の6流に分かれ、広沢流が儀軌を主とするのに対して、口伝を重んじた。↔広沢流。
②小野派一刀流の俗称。
おのれ【己】
[一]〔名〕
自分自身。万葉集16「伊夜彦は―神さび」。「士は―を知る者の為に死す」
[二]〔代〕
①(一人称)わたくし。われ。宇津保物語俊蔭「―は天上より来り給ひし人の御子供なり」
②(二人称)目下の者に、または人をののしる時にいう。きさま。こいつ。宇治拾遺物語1「―はまがまがしかりける心もちたる者かな」。日葡辞書「ヲノレメ」。狂言、河原新市「なんの―、人の飲まうといふ時は飲まさいで」
[三]〔副〕
自然と。ひとりでに。おのずから。源氏物語末摘花「松の木の―起きかへり」
[四]〔感〕
物事に激して自ら励ます時に発する声。「―、何のこれしき」
⇒おのれ‐おい【己生い】
⇒おのれ‐がお【己顔】
⇒おのれ‐ざき【己咲き】
⇒おのれ‐と【己と】
⇒おのれ‐やれ【己やれ】
⇒おのれ‐ら【己等】
⇒己達せんと欲すれば人を達せしむ
⇒己に克ち礼に復る
⇒己に如かざる者を友とするなかれ
⇒己の欲せざる所は人に施すなかれ
⇒己を枉げる
⇒己を虚しうす
おのれ‐おい【己生い】‥オヒ
自然に生い出ること。自生。
⇒おのれ【己】
おのれ‐がお【己顔】‥ガホ
自分こそはと思う自慢らしい顔つき。われはがお。俊成女集「―なる風の音かな」
⇒おのれ【己】
おのれ‐ざき【己咲き】
自然に生い出て咲く花。男色大鑑「―の菜種の花」
⇒おのれ【己】
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