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広辞苑の検索結果 (5)

ほう‐ねん【法然】ホフ‥(仏教)🔗🔉

ほう‐ねん法然ホフ‥ 〔仏〕(→)法爾ほうにに同じ。

ほうねん【法然】ホフ‥(人名)🔗🔉

ほうねん法然ホフ‥ 浄土宗の開祖。諱いみなは源空。美作みまさかの人。父の遺言で出家。比叡山に入り、皇円・叡空に師事。43歳のとき専修念仏に帰し、東山吉水よしみずで浄土法門を説く。また、大原で南都北嶺の僧徒と法門を論じた(大原問答)。1207年(承元1)弟子の住蓮・安楽の死罪事件を契機として土佐(実際には讃岐)に流罪となったが、同年末には許される。著「選択せんちゃく本願念仏集」など。諡号しごうは円光大師など。黒谷上人。吉水上人。(1133〜1212) →文献資料[選択本願念仏集] ⇒ほうねん‐き【法然忌】 ⇒ほうねんしょうにん‐えでん【法然上人絵伝】

ほうねん‐いん【法然院】ホフ‥ヰン🔗🔉

ほうねん‐いん法然院ホフ‥ヰン 京都市左京区鹿ヶ谷にある単立寺院。もと浄土宗。法然配流の原因となった門弟住蓮・安楽の六時礼讃の故地。1680年(延宝8)知恩院の万無まんむが再興。

ほうねん‐き【法然忌】ホフ‥🔗🔉

ほうねん‐き法然忌ホフ‥ 法然の忌日に行う法会。御忌ぎょき⇒ほうねん【法然】

ほうねんしょうにん‐えでん【法然上人絵伝】ホフ‥シヤウ‥ヱ‥🔗🔉

ほうねんしょうにん‐えでん法然上人絵伝ホフ‥シヤウ‥ヱ‥ 法然上人の伝記に絵を加え、布教に役立てた絵巻。1237年(嘉禎3)に成立した「法然上人伝法絵」2巻(原本は伝存しない)をはじめ、いくつかの種類が制作された。14世紀前半に知恩院で作られた48巻の「法然上人行状絵図」はそれ以前のものの集大成で、10人以上の画家の手で漸次増補完成。別に当麻寺たいまでら往生院にも48巻の一揃いがある。また各地に掛幅かけふく装の絵伝が流布。 ⇒ほうねん【法然】

大辞林の検索結果 (6)

ほう-ねん【法然】🔗🔉

ほう-ねん ホフ― [1] 【法然】 「法爾(ホウニ){(1)}」に同じ。

ほうねん【法然】🔗🔉

ほうねん ホフネン 【法然】 (1133-1212) 浄土宗の開祖。諱(イミナ)は源空。諡(オクリナ)は円光大師・明照大師。黒谷上人・吉水(ヨシミズ)上人とも称される。美作(ミマサカ)の人。比叡山で源光・皇円,次いで黒谷別所の叡空に師事。のち善導の「観無量寿経疏」や源信の「往生要集」に啓発され,1175年専修念仏の教えを唱えて浄土宗を開いた。京都東山の吉水に庵を結んで布教に努め,主に武士・農民の帰依を得た。旧仏教からの激しい圧迫を受け,1207年専修念仏は停止され四国に流されたが,のち許されて帰洛。著「選択本願念仏集」など。

ほうねん-あたま【法然頭】🔗🔉

ほうねん-あたま ホフネン― [5] 【法然頭】 〔法然上人の頭の形に似ていることから〕 頂がへこんだ頭。

ほうねん-いん【法然院】🔗🔉

ほうねん-いん ホフネンン 【法然院】 京都市左京区鹿ヶ谷にある単立宗教法人の寺。もと浄土宗。山号,善気山。法然が弟子とともに六時礼讃を修した旧跡。1680年知恩院三八世の心阿万無が中興。

ほうねん-き【法然忌】🔗🔉

ほうねん-き ホフネン― [3] 【法然忌】 法然上人の忌日に行う法会。御忌(ギヨキ)。[季]春。

ほうねん-しょうにんえでん【法然上人絵伝】🔗🔉

ほうねん-しょうにんえでん ホフネンシヤウニンデン 【法然上人絵伝】 法然上人の行状を中心に描いた絵巻物。1237年撰述の「伝法絵流通」が最も古く,弘願本,増上寺本,覚如撰の「拾遺古徳伝」などを経て,徳治年間(1306-1308)頃「法然上人行状絵図」四八巻(知恩院蔵)として集大成された。法然伝のほか,浄土宗確立の過程,法然の教説など内容は多岐に及ぶ。

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