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ちょう‐そ【錯】テウ‐🔗🔉

ちょう‐そ【錯】テウ‐?〜前一五四]中国、前漢の政治家。穎川(えいせん)郡(河南省)の人。景帝の時、御史大夫。中央集権制確立のため、諸侯の土地を削らせたことから、呉楚七国の乱を招いて処刑された。

ちょう‐そう【頂相】チヤウサウ🔗🔉

ちょう‐そう【頂相】チヤウサウ ちんぞう(頂相)

ちょう‐そう【鳥葬】テウサウ🔗🔉

ちょう‐そう【鳥葬】テウサウ 死体を野山などに放置して鳥の食うのに任せる葬法。ヒマラヤ周辺に現存。

ちょう‐そう【朝宗】テウ‐🔗🔉

ちょう‐そう【朝宗】テウ‐ [名]スル《「朝」は春に、「宗」は夏に天子に謁見する意》古代中国で、諸侯が天子に拝謁すること。多くの河川がみな海に流れ入ること。権威あるものに寄り従うこと。「カントに―する当為の哲学であるが」〈和辻・風土〉

ちょう‐そう【×牒送・×牒奏】テフ‐🔗🔉

ちょう‐そう【×牒送・×牒奏】テフ‐ 牒状を送って通知すること。通牒。「―のところに、などかくみせざるべき」〈平家・四〉

ちょう‐ぞう【彫像】テウザウ🔗🔉

ちょう‐ぞう【彫像】テウザウ 彫刻して像を作ること。また、その像。

ちょう‐そうよう【張僧チヤウソウエウ🔗🔉

ちょう‐そうよう【張僧チヤウソウエウ 中国、南朝の画家。呉(江蘇省)の人。梁の武帝に仕え、塔廟(とうびよう)に多くの壁画を描いた。生没年未詳。→画竜点睛(がりようてんせい)

ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】チヤウそかべ🔗🔉

ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】チヤウそかべ 姓氏の一。

ちょうそかべ‐もとちか【長宗我部元親】チヤウそかべ‐🔗🔉

ちょうそかべ‐もとちか【長宗我部元親】チヤウそかべ‐一五三九〜一五九九]戦国時代の武将。土佐の人。国司一条氏を追って土佐さらに四国全土を支配したが、豊臣秀吉の四国征伐で降伏。九州征伐・朝鮮出兵に参加。「長宗我部元親百箇条」は分国法として有名。

ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】チヤウそかべ‐🔗🔉

ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】チヤウそかべ‐一五七五〜一六一五]安土桃山時代の大名。土佐守。元親の四男。関ヶ原の戦いで西軍に属し、戦後所領を没収。大坂の陣で大坂に入城、豊臣方についたが敗れ、京都六条河原で斬られた。

ちょう‐そく【長足】チヤウ‐🔗🔉

ちょう‐そく【長足】チヤウ‐ 長い足。はやあし。おおまた。進み方の速いこと。

ちょう‐そく【長息】チヤウ‐🔗🔉

ちょう‐そく【長息】チヤウ‐ [名]スル長いため息をつくこと。長嘆息。「天を仰で―し」〈織田訳・花柳春話〉

ちょう‐ぞく【超俗】テウ‐🔗🔉

ちょう‐ぞく【超俗】テウ‐ 世俗を超越すること。「―の人」「―的生活」

大辞泉 ページ 9876