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お‐だ【小田】を‐🔗⭐🔉
お‐だ【小田】を‐
小さな田。また、田。「湯種(ゆだね)蒔(ま)くあらきの―を求めむと」〈万・一一一〇〉
おだきゅう‐でんてつ【小田急電鉄】をだキフ‐🔗⭐🔉
おだきゅう‐でんてつ【小田急電鉄】をだキフ‐
東京都と神奈川県に路線をもつ鉄道会社。また、その鉄道。新宿・小田原間の小田原線のほか江
島線・多摩線がある。大正一二年(一九二三)創立。小田急。
島線・多摩線がある。大正一二年(一九二三)創立。小田急。
おだの‐なおたけ【小田野直武】をだのなほたけ🔗⭐🔉
おだの‐なおたけ【小田野直武】をだのなほたけ
[一七四九〜一七八〇]江戸中期の洋風画家。秋田藩士。平賀源内に西洋画法を学び、のち江戸で活躍。「解体新書」の挿絵を描いた。
おだまき‐むし【×苧△環蒸(し)・小田巻蒸(し)】をだまき‐🔗⭐🔉
おだまき‐むし【×苧△環蒸(し)・小田巻蒸(し)】をだまき‐
うどんを入れた茶碗蒸し。
おだわら【小田原】をだはら🔗⭐🔉
おだわら【小田原】をだはら
神奈川県南西部の市。戦国時代は北条氏、江戸時代は大久保氏の城下町。また、東海道の旧宿場町で、箱根の東方の出入り口にあたる要所。箱根観光の基地。商工業が発達し、梅干し・かまぼこを特産。人口一九・七万。
「小田原提灯(おだわらぢようちん)」の略。
「小田原評定」の略。
神奈川県南西部の市。戦国時代は北条氏、江戸時代は大久保氏の城下町。また、東海道の旧宿場町で、箱根の東方の出入り口にあたる要所。箱根観光の基地。商工業が発達し、梅干し・かまぼこを特産。人口一九・七万。
「小田原提灯(おだわらぢようちん)」の略。
「小田原評定」の略。
おだわら‐じょう【小田原城】をだはらジヤウ🔗⭐🔉
おだわら‐じょう【小田原城】をだはらジヤウ
小田原市にある城。鎌倉時代初め、土肥氏が築城。戦国時代、北条早雲が入城して後、北条氏の本城となり、関東の中心となった。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉が攻略。江戸時代には幕府の重要拠点として譜代大名を配した。小峰山城。
おだわら‐せいばつ【小田原征伐】をだはら‐🔗⭐🔉
おだわら‐せいばつ【小田原征伐】をだはら‐
天正一八年(一五九〇)、豊臣秀吉が小田原城を包囲して、北条氏政・氏直父子を攻め滅ぼした戦い。
おだわら‐ぢょうちん【小田原△提△灯】をだはらヂヤウチン🔗⭐🔉
おだわら‐ぢょうちん【小田原△提△灯】をだはらヂヤウチン
円筒形で、不用のときは畳んで袂(たもと)または懐中に入れて携帯のできる提灯。天文年間(一五三二〜一五五五)小田原の甚左衛門の創製という。懐(ふところ)提灯。
おだわら‐ひょうじょう【小田△原評定】をだはらヒヤウヂヤウ🔗⭐🔉
おだわら‐ひょうじょう【小田△原評定】をだはらヒヤウヂヤウ
《豊臣秀吉の小田原征伐のとき、北条方の和戦の評定が容易に決定しなかったところから》長引いて容易に結論の出ない会議・相談。
おだわら‐ぶき【小田原×葺き】をだはら‐🔗⭐🔉
おだわら‐ぶき【小田原×葺き】をだはら‐
「
葺(こけらぶ)き」に同じ。
葺(こけらぶ)き」に同じ。
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